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久しぶりのブログです。

2012年12月03日 14:01

 時間が過ぎるのは、早いもので今年も残すところ一ヶ月。今年の正月は、剣道の寒稽古に始まり、OB会の40周年事業の準備に取り掛り、5月に、大学の師範の先生が、剣道界では、最高の称号である、範士を授与され。9月にOB会の記念事業を無事終了し、11月に先生の祝賀会を現役の学生を交えて行なった。私ごとでは、11月26日に日本武道館で6段の昇段審査に合格。

 昨年失敗したので、今年こそはと、週4回の稽古を目標に、稽古してきたので合格してホットしている。そんな訳で、今年は、剣道に始まり、剣道に終わった感がある。そして、仕事は、昨年から引き続いて、大手のホームセンターの改装2棟と新築5棟を手掛け、この11月に完了しこれも一段落し、良い年を迎えられそうだ。
 
 しかし、全てが順調に来た訳では無い。今年を振り返ってみると、8月のお盆に大学の合宿に5日間参加し、柔軟体操中に腰を痛め、2か月ほど病院通い。10月の終わりには、自宅の外階段(4段の石の階段)で滑って、肋骨にヒビが入り2週間程安静にして、稽古を再開、何とか昇段審査に間に合わせた。口の悪い剣友からは、怪我のお陰で力が抜けて良かったので、これこそ、怪我の功名とからかわれているが、落ちて慰められるより良いかと思う。
 
 ところで、剣道の昇段審査は、段位によって審査する場所が異なる。三段までは、各市の連盟で行い、四、五段は各県の連盟で行う。六、七、八段は、全日本剣道連盟が直接審査する。六、七段は年三回、四月の京都、八月には、東北、九州など各地の指定された場所、十一月の東京都で受審する事が出来る。審査の方法は、六段が二人の相手と各1分30秒、七段は、2分、八段は2分30秒対戦する。

 もう少し詳しく言うと、八段は一次審査で、十分の一、二次審査で十分の一に振い落とされる。ちなみに今年の八段の合格者は、1851名が受けて合格者8名と言う、途方も無い難関で、これに合格する事は、奇跡に近い。

 そして、今回の六段の受審者は、1996名、合格320名、合格率16パーセント、七段は、受審者1586名、合格者239名、合格率15パーセントとやはり難関ではある。受審者はこの日の為に全国各地から泊まりがけで受審に来る。

 私の今回の審査は、12時に受付を終えて、延々と4時間待たされて、3分の審査。実技に合格して、日本剣道型の審査まで、1時間待って型の審査に5分、合格発表に30分全てが終わったのが、夕方の6時ただひたすら、我慢の一日だった。昨年は、落ちて帰りの電車の中で防具がひと際重く感じた事を、昨日の事の様に思いだした。何はともあれ合格したのだから、段位に恥じない様にこれからも稽古に精進したいと思っている。




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寒稽古

2012年02月13日 13:14

正月に祝いをして、はや一ケ月半が過ぎようとしている。今年の正月は、大阪から義母と義弟の家族が昨年の暮れから我が家へ遊びに来たので、結婚後初めて千葉で過ごす事になった。そこで、30分ほど離れた剣友会で暮れから正月にかけて剣道の寒稽古を行っていると言う事を聞いて参加する事にした。稽古の期間は暮れの26日から元旦の一日を除いて6日までの11日と言う長丁場だ。

 大抵の寒稽古は、早朝の一番寒い時に行うと相場は決まっている。こちらも7時から8時半まで約一時間半、中学校の武道館で毎年恒例となっていて、今年で20年目だそうだ。対象は、小学生から一般の剣道愛好家まで、小中学生約40名、高校生を含む大人が約20名と大勢の人が参加する。偶然だが、この会を主宰されている責任者が母校の現役剣道部員のお父さんだった。

 初日に、本人と後輩二人も寒稽古に参加していた。稽古は準備体操から始まり剣道の基本である素振りを行い、子供たちの指導稽古約30分、その後大人の相互稽古30分で8時半に稽古を終える。早朝の武道館の床は、足が凍りそうな寒さだ。余談だが、我が市の中学校は体育館と別に武道館を併設する学校は無いのだが、この隣の市には体育館と別に柔剣道が出来る武道館を持っている学校が大半だ。これもこの稽古会に参加して初めて知った。

 子供達は、毎朝徒歩や自転車で通ってくる。遠い子供達は、父兄が車で送迎している。私も毎朝、夜が明ける前に家を出て、街を抜け冬枯れの田園風景の中、車を走らせる。途中、里山の向こうに朝焼けが雲を照らし、凛とした冬の空気を切り裂くようにして一日が始まる景色を楽しみして毎日通った。
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朝焼けの田園風景、いつもはまだ寝ている時間でこんな風景を見る事が無いので感動した。
 
 早朝の足が凍りそうな床を素足で行う寒稽古は、大人でもつらいものがある。まして、小学生にとってはなおさらの事と思う。稽古が始まると小さな体に闘志を燃やして立ち向かってくる姿は、とても頼もしくこちらまで勇気づけられる。
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準備体操の後の竹刀素振りの稽古
 
 そんな姿に励まされて寒稽古に参加した時、皆勤すると秘かに心に誓っていたのだが、元旦の休みの翌日、義母達は用事があって朝に帰る事になり、流石に剣道の為に見送りが出来ないと言うのもいささか礼を失すると思い稽古を休んだ。しかし、それ以外の日は、稽古に参加する事が出来た。少しの達成感の代償は、足の捻挫と風を引いて病院に行く事になったが、これも年のせいにして、せめて年寄りの冷や水と陰口をたたかれぬよう、今年も精進したいと思う。

謹賀新年

2012年01月04日 16:22

年の瀬から元旦へ

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
昨年の暮れ、大阪から義母と義弟の家族5人が我が家へ来て、正月は我が家の初孫と黒芝の小次郎を交えて12人と1匹で賑やかな正月を迎えた。

 大晦日、義母と義弟夫妻と一緒に東京見物に出かけた。観光コースとしては定番の浅草の雷門から仲見世を見物しながら浅草寺にお参りした。お参りを済ませて、仲見世の空を見上げるとスカイツリーの雄姿が手の届きそうなところに見える。ついでに近くまで行ってみようと言う事で歩き始めたのだが、これが近いようで以外に遠い。なにせ相手は634mの高さ、自立式の電波塔としては、世界一を誇る建造物だ。

 浅草の松屋デパートの前まで歩いてくると隅田川の向こう岸にスカイツリーが見える。結構時間が掛かりそうのなので、吾妻橋のたもとの交番で時間を聞くと徒歩で約20分と言う答え、一気に歩く気持ちが萎えてしまった。橋の向こうのアサヒビールの建物屋上に物議を起こした金色の巨大なオブジェが見える。こちらの橋のたもとには、水上バスの発着場がある。時計を見るとちょうど日の出桟橋行きの船があったので乗船する事にした。
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雷門入口、参拝者で混雑していた
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吾妻橋から、隅田川を隔ててアサヒビール本社と建物の向こうにスカイツリーが見える。

 当日は天気も良く風も無かったので船も快適に進んで行った。途中いくつもの橋を下から見上げ、川岸に並ぶビルをいつもの視線とは違った角度から眺めながら隅田川を下って行った。東京湾に近づくにつれて川幅がだんだんと広くなってゆく。両国橋に近づくと国技館の屋根も見える。
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水上バスから見上げた勝鬨橋
 江戸時代には大川と言えば隅田川の事を指した。藤沢周平の時代小説に大川を渡る場面がよく出てくる。目を閉じると大川に掛かった木の橋の上を歩く江戸の人々の足音が聞こえてきそうだ。40分程の小さい船旅で日の出桟橋に着いた。そこから徒歩で20分程掛けて浜松町まで出る。

 船着き場の表示では10分とあったが、高齢の義母の足に合わせると倍の時間はかかった。その上、道路を渡る歩道橋がいくつもあり、階段が多くて年寄りや足の不十な人には酷な通行だ。タクシーに乗れば良かったと思っても後の祭り、義母には悪いことした。JR浜松町駅から地下鉄大門駅は目の前で、駅の近くで遅い昼食を済ませタクシーで東京タワーに行く。

 高校の修学旅行以来40数年ぶりで東京タワーに昇った。大晦日と言うのに沢山の人で、エレベーターに乗るのに2時間程待たされた。改めて展望台から見る東京の街は、あちこちに高層のビルが建ち並び、低いビルを含めて建物で隙間なく埋め尽くされ、地震の時はどうなるのだろうと恐怖さえ覚えた。駆け足で東京見物を終えたのだが、日頃見る事が出来ないところが見物出来たとまずまずの評判だった。

 元旦は、家族全員で正月を祝った。こんな普通の幸せが、大切な幸せと昨年の災害が教えてくれた。午後から成田山へ初詣に出かける。お屠蘇が入っていたのと道路の混雑を避けるため、電車で出かけた。午後と言う事もあって電車は意外な程空いていて座って行く事が出来た。

 成田山は、いつも正月を過ぎて車でお参りに来るので、駅から参道までの賑わいは知らなかったが、駅を降りると沢山の人出で混雑していた。お寺に近づくと、人の流れが止まってしまった。参道の両脇には、お土産物屋、漬物屋、これでもかとばかりに道路に向けて煙を出すウナギ屋が立ち並ぶ。
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成田山本堂前
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本堂前の混雑、ここまで来るのに2時間掛かった


 参道の両サイドは参拝を終えた帰りの人、中央は6列程のこれから参拝に向かう人と、警官の誘導で行列を造って、羊のようにおとなしく順番を待っている。義弟が大阪では考えらないと感心しきり。大阪では、数年前まで電車に乗り込むのも我先と先を争って乗り込む姿を思い出した。

 ちなみに最近は、トイレやエスカレーターでも列を崩さず行儀が良い。ただし、不思議な事に、エスカレーターでは、東京では左に立って右を開けるのだが、大阪ではその反対だ。大阪に行くと何かにつけてこんな事が気にかかる。きっと、関西人と関東人では人種が違うのだろと思う。そんな事を考えているうちにようやく山門の石段まで辿りついた。

 列の先頭にはロープを持った警官が階段の両サイドに立ってゆっくりと登って行き、全体の登る速度を調整している。階段の上や下から拡声器でしきりと足元に注意しろと呼び掛けている。警察官やガードマンの方のご苦労は解かるが、少しやりやりすぎじゃないの。人の群れを見ながらようやく本堂へ。ここまで約2時間、お参りは1分これでも空いているのだろうと思った。

 成田山は山全体がお寺の敷地と公園になっていて、寺域内には、小中、高校まである。そのスケールの大きさに義母は感心しきりだった。帰りは、混雑を避けて遠回りして駅に着くと、電車は、地震があって遅れているとのアナウンスがあった。駅では何の情報も無く、正月から何もなければ良いのにと思って電車を待っていると、間もなく電車も来て、大したことはなかったようで安心した。

 翌二日、義弟の長男がアルバイトの予定があると言うので、朝食を済ませると車に沢山の荷物を乗せて帰って行った。正月といえ、下りはそれ程混雑しなかったようで、ほぼ予定通り夕方自宅に着いたとの連絡をもらった。今年の正月は、大勢で楽しく過ごせて思い出に残る正月になった。今年もきっと良い年になるだろう。

学連剣友剣道大会

2011年12月06日 11:21

 第22回の関東学連剣道大会が12月4日、綾瀬の東京武道館で開催された。この大会は、関東を中心とした大学の剣道部OBの大会として開始しされたのだが、毎年参加校と参加人員が拡大し、今では、九州から北海道まで各大学の東京支部が設立され、全国大会の様相を呈している。

 この大会の特徴は、年齢別に制限があり男性は、3部の構成で、一部は22歳から55歳の7人制、2部は55歳から65歳の5人制、3部は65歳以上の3人制、ただし、各年代は上限を設けていない。女性の部は22歳以上の5人制で構成される。

 今大会は、86大学、225チームの1170名の参加で開催された。規模が大きくなった事で、大会の運営にも工夫が必要となり、今年から各大学のOB2名が専任の審判として選出される事になり、今回は私ともう一人の後輩が参加する事になった。

 試合は、会場を10コートに分け、各コートに6から7名の専任審判が配置され約40試合の審判をすることになった。試合時間は3分だが、引き分けを含む熱戦が繰り広げられるので一試合約15分から20分。専任審判は副審二人と3名で仕切る事になった。普通の大会では、審判は3試合で交代するのだが、今回のルールは専任審判が全ての試合の主審をすることになった。

 各試合は、母校の名誉を賭けて真剣な試合が行われるので、誤審の無いように選手の一挙手一投足に全神経を集中しなければならないので、神経がすり減ってしまう。試合は、10時から開始されて、昼食の時間も無く試合は進められたので、選手、審判は空いた時間を見て食事する事になった。私も食事をしたのが昼の1時過ぎだった。短い休憩をはさんで、第10コートの全試合が終わったのが4時過ぎだった。

 4時半から各部の決勝戦が行われて、全ての試合が終わったのが5時過ぎだった。6時から謝恩会があると言う事だったが、参加する気力も無く一足先に会場を後にした。結局その日は、6試合を仕切る事になった。特別大きなミスも無く審判を終えてホッとした。試合で勝者、勝ちの本数が一緒の場合は、代表戦で先に一本を取った方が勝ルールだ。その試合を審判した時は、本当に緊張したが、幸い誰が見ても納得する面が決まって、勝敗が決したのは良かった。

 母校の試合については、審判中で殆ど試合を見る事が出来なかったが、2部の部で3試合まで勝ち上がり、優勝した国士舘大学ともそれなりの試合をしたと聞いて感激した。相手は、現役時代に優勝経験がある選手を揃え、誰もが知るスター軍団だった。以前、我が校の師範が、40過ぎてからは継続して稽古していると、ウサギとカメの寓話のようにやがて追い付くのだと話しておられたのを思い出した。今回選手に選ばれたOBは、日頃から休むことなく精進されていてその結果が出て本当に誇らしく思った。

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決勝戦の開始前に各コートに選手がそろった試合会場の様子
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各コートでの試合風景

今回の結果を下記に記録して置きます。
一部 22歳から55歳 7人制
優勝 明治大学A
二位 中央大学A
三位 東海大学
三位 東京農業大学A

二部 55歳から65歳 5人制
優勝 国士舘大学
二位 専修大学
三位 早稲田大学
三位 日本体育大学

三部 65歳以上 3人制
優勝 日本大学
二位 早稲田大学
三位 明治学院大学
三位 東京大学

女子の部 22歳以上 5人制
優勝 筑波大学
二位 東京学芸大学
三位 東海大学
三位 日本体育大学

30年ぶりの再会

2011年10月25日 12:13

 大学の剣道部OB会は、来年設立40周年を迎える。記念すべき年の、今年の総会でOB会会長に推挙された。私には、大役で任に相応しくないとお断りしたのだが、母校の近くに住んでいるのと、年齢的に見て推薦されたと思うので、今までお世話になったOB会のために、恩返しの意味も含めてお引き受けする事にした。

 昨年の6月から、OB会活動の一環として母校の武道館で毎月第三土曜日に月例の稽古会を行っている。毎回10~15名のOBと15名程の現役剣道部員が参加して稽古に励んでいる。稽古会の後反省会と称して新習志野駅前の居酒屋で酒を酌み交わし、剣道の話題で時を忘れて楽しんでいる。剣道好きは、何時間でも剣道の話をして飽きることが無い。ほとんど毎回同じ事を言っていてよく飽きないものだと感心する。居酒屋で、箸を両手に持って熱弁をふるっているグループがいれば、それは剣道の話と言ってほぼ間違いない。

 今年の8月にいつもの稽古の後の反省会で、OB会40周年の事が話題になった。OBと言っても卒業後剣道をしていない人も多いので剣道をしない人も気安く参加出来る事を考えた方が良いとの意見があった。そこで10月15,16日の週末に、剣道をする人とは別にゴルフをする人を対象に、毎年現役が合宿でお世話になっている、OBの経営する山梨の石和のホテルで泊まりの懇親会を開く事にした。

 前日、近所に住む先輩の車に同乗させてもらってみんなより一足先にホテルに着いた。石和の先輩も忙しい合間を縫って剣道に精進されている。一緒に行った先輩とは大学時代の同級生でとても仲が良い。久しぶりの再会で深夜まで話は盛り上がったのだが、翌日の天気予報は一日中大雨、ところにより雷雨で、ゴルフには最悪の天気予報だった。

 翌日、朝方は予報通り雨だった。先輩はゴルフ組、雨の中プレイが出来るか心配しながら出かけて行ったのだが、プレイを開始する10時前から雨が止みその後は、薄日が出て来て一日雨は降らなかった。奇跡と呼ぶには大袈裟だが、これも久しぶりに再会するみんなのために天が配慮してくれたのだと思う。我々剣道組は午後から石和の武道館に集合した。8名と人数が少なかったのでみっちりと稽古する事が出来た。夕方ゴルフ組と合流して宴会に突入。

 この日は、飲み会だけに参加する2名の先輩も夕方合流された。日頃、ゴルフも剣道もしない人で、宴会だけ参加するOBがいるとは想像もしなかったのだが、次回は色々な立場の人の事も考慮したいと思った。今回、大学卒業以来、約30何年ぶりに会う人もいて、時を忘れて深夜まで昔話に花が咲いた。翌日は剣道好きのために朝稽古、二日間、剣道と旧交を温める事で充実した時を過ごす事が出来た。

 これを企画して以後、短期間で先輩や後輩がそれぞれの役割をきちんと果たしてくれたお陰で、OB会は盛会の内に終わった。改めてOB会の結束の強さを再確認し、この企画に参加して頂いた多くのOB諸兄に感謝したいと思います。
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石和の武道館、清流館の道場で記念撮影
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30年ぶりに会うOBもいて学生時代にタイムスリップ