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夏の箱根

2008年07月23日 12:45

吉村順三先生の設計した旅館に宿泊
 知人の会員制ホテルの和風別館が、昔から師と仰ぐ、吉村先生の設計と聞いて、機会があれば訪ねてみたいとお願いしていたのだが、幸い19、20日の連休中に予約が取れたので、友人と一泊で出かけた。新宿駅で待ち合わせてロマンスカーで箱根湯元まで、そこから箱根登山鉄道に乗り換え、山頂のケーブルカーを乗り継いで終点の芦ノ湖、桃源台で下車、そこから徒歩10分で目的地に到着。レンガ張りのホテルとは別棟に和風別館は建っていた。雑木林に隠れるように建つ木戸をくぐるり、苔むした自然石の飛び石段を登って行くと、その先に、両サイドを透明ガラスのはめ殺しの、板戸のドアが私たちを迎えてくれた。
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入口の木戸
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自然石の階段
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板戸のドア

 玄関を入ると、石畳の床の先に格子戸の内玄関。建物は、それぞれに内玄関で区切られた3室の客間と、ゲスト用の茶室で出来ている。格子戸を入ると、土間の先に階段、2階と思って上がった所に、敷地の勾配を利用して坪庭があった。天井は手の届く高さで、茶室のようだ。3畳の前室を入るとそこは床の間の付いた10畳の和室。通常より広い京間の広さでゆとりがある。正面の障子を開けると、4畳の広縁の先に横長のコーナー窓。その窓いっぱいに広がる緑のもみじの葉が清々しい。
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階段を上がった坪庭
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コーナー窓から眺める緑のもみじ
 床の間の脇には、2段の飾り棚の奥に障子の明かりとりがある。障子を開けると、裏側にふすまが隠されている。このふすまは、夜閉めて朝の明かりを遮るようになっている。ゲストが朝ゆっくりと眠れるように、配慮されている。空間の隅々まで細かい配慮がされていて、とても居心地が良い。先生は、著書の中で、「人は、自然の内に気持ちの良いものを求めているのです。」と書かれていて、設計をする時にそのことをいつも考慮されている。洗面所の窓は、斜めに塗られた壁に障子がはめ込まれている。その障子は開くことができるようになっていて、障子の枠を壁の角度に合わせていて、一見はめ殺しの障子に見える。障子は、光とともに木の葉の影を映し、風を感じることができる。和風住宅の大切な要素の一つだ。谷崎潤一郎は、「陰翳礼讃」(いんえいらいさん)で、和風建築の良さを、深い庇が作る影や、座敷の奥の薄暗がりの中の床の間の闇や、障子の和紙の柔らかい光を讃えている。
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床の間脇の飾り棚
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障子に隠れたふすま
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↑洗面所脇の障子

 先生の図面で、見慣れた納まり (建築では、柱や壁の取り合いや、壁と天井などの取り付け方を納まりと言う)、がいたるところ見ることができ、まさに「百聞は一見に如かづ」を実感して、幸せな1日であった。紹介してくれた知人に感謝!
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階段上から見る透かし門の木戸
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ホテルのエントランス





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大腸ポリープの摘出

2008年07月14日 23:43

無事生還!
 緑の稲が風に揺れる田園風景の中に、県立佐原病院は建っている。周囲に大きな建物がないので四階建ての建物は、目立つのだが、最近のいかにもお金をかけましたと言う、建物と違って親しみを感じる。ここで、内視鏡による大腸ポリープの手術を受ける。前回の内視鏡検査で勝手は分かっているので不安はなかった。朝9時に手続きを終え、控え室で2リトルの腸内洗浄液を受け取って、まず1リトルを飲む。様子を見ながら残りを無理やり喉に流し込む。そして、ひたすら神のお告げを待つように兆しが表れるのを待つ。その日は、私の前に先客が3人、皆神妙な顔でお告げを待っている。昼前に何とか腸内洗浄は終わったのだが、手術の予定は3時頃と言うことで、病室に案内される。そこは四人部屋で、二人の先客がいて、空いていた入口左のベッドに荷物を下ろす。

 実は、今回の密かな楽しみは、下界と縁を切ってただひたすら読書すること、そのために、前日、日頃読まない本を買っておいた。本屋で何にしようか迷っていた時に、ふと目に止まったたのが、「日本婦道記」山本周五郎、変わった題名に魅かれ、これなら読んだことがないと決めた。何気なく手にした本が、人との出会いの様に、思いがけない感動を与えてくれることがある。今回も良い意味での裏切りだ。名もない下級武士の妻が主人公で、いくつかの小品に別れている。その中の一つに、久しぶりに小説を読んで、自然に涙が出て止まらなかった。時間を忘れて読みふけっていると、看護婦さんが迎に来た。
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病院の前を、佐原の祭りの山車が練り歩く、とても貴重な機会に巡りあった!
 
  3時20分に、処置室に入る。前回と同じ手続きで作業は進められた。内視鏡が目的の場所に着いたことを告げられる。前回と少し勝手が違うのは少し痛みがあること、局部麻酔なしで電気メスでポリープを切除する。その間約20分で無事終了。術後は少し痛みがあるのと、腸が張った感じが残る。親切に、看護婦さんが切除したポリープを見せてくれる。ちょうど色の薄い小豆のようだった。これで一安心だ。

 病室に帰ると、点滴の準備が出来ている。これは想定外、甘かった。手術は簡単だと聞いていたのだが、点滴のことは聞いていなかった。しかし、当然と言えば当然なことだ。少なくとも腸に傷をつけたのだから、固形物を摂ってはいけないのは、推測の出来たことだった。しかし、これが結構大変。消灯は9時、消灯後10時と、夜中の3時、朝8時と三度の点滴のたびに目を覚ます。朝、採血をして結果を待つ。ついでに、血糖値の簡易検査をしてもらう。

 昨日からほぼ一日半、何も口にしていない。今月始めの、血液検査で今までにない高い数値だったので、食事に気をつけていたのだが、半分の数値に落ちていたのは、軽い驚きだった。これを機会に当分は酒を控えよう。11時過ぎ検査の結果、無事放免となった。流石に、二日食事をしていないので空腹を感じる。外へ出ると、最初にコンビニでそばを買った。食事ができる、当り前の幸せが幸せと感じた一日だった。



黒芝の小次郎

2008年07月10日 01:42

初めての誕生会
 7月6日、小次郎が生まれて1年になる。血統書によると、父親を房葵の丈二、母親を房菊花姫として、5匹の兄弟の二男か、三男になるのだが、はっきりしない。(ブリーダーさんによると最初と最後の出生は確認したのだが、途中は確認できなかったとのこと)両親は、赤芝なのに不思議なことに、赤2匹、白2匹、黒1匹が生まれた。みんな、ブリーダーさんから直接引き取られて行ったので、連絡をとることができる。昨年、半年目で、飼い主の皆さんとお会いした。そこで、次回は一年目の誕生日に再会することを約束して別れた。そして、約束の7月6日、5家族と5匹が、ブリーダーさんのお宅に集まって歓談した。もちろん話題は、愛犬の育て方。1年経って、それぞれの育て方と、犬の個性が加味されて、違った表情を見せて興味深かった。

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全員集合、5匹と5家族!

 昔、田舎で犬を飼っていた頃を思い出すと、犬は、拾ったり、貰ったりして飼うものだと思っていた。
私が飼った犬は、どう言う訳か黒い犬ばかりで、歴代の飼い犬の名前は、当然の様にクロ。今回もブリーダーさんのところで黒い芝犬を見た時に、一目ぼれ。その場で即決。小さな熊のぬいぐるみの様な姿と、黒いつぶらな瞳に参ってしまった。以前から、飼うなら芝犬と決めていたのだが、本当のことを言うと芝犬は、赤と言われる栗毛色だけと思っていた私には、黒とか白い毛の柴犬がいるとは、驚きだった。

 この黒の芝犬を見たとき、名前はクロだけはやめようと思った。そして、いくつかの名前の中から小次郎と決めた。その中には、白土三平の忍者犬、カムイもその一つだが少し不気味かと思いやめた。剣豪、武蔵も候補の一つ、しかし、近所にその名前の焼肉屋があって焼かれてしまっては困ると思いこれもダメ。そして、若くして武蔵に敗れ、天才と言われた小次郎にあやかって、小次郎と名付けた。しかし、後で、ブリーダーさんから頂いた血統書によると、房の嵐と立派な名前があった。従って、通称、小次郎。本名を、嵐とすることにした。

 小次郎が、我が家に来た時は、小さかったので家の中で飼って、春になると外で飼う予定だった。しかし、近くで一緒に生活していると、外に出すことが出来なくなってしまった。帰宅してリビングのドアを開けると、体ごとぶつっかて来て歓迎してくれ、朝は、出かけるときに玄関で見送ってくれる。この小次郎の無垢の愛情に答えるには、何ができるだろうかと考えたとき、出来きるだけ小次郎の気持になって、何がしてやれるかを基準にすることした。年齢を重ねて、神仏や縁のように目に見えないものを肌で感じるようになってきた。仏教の輪廻転生を思う時、もし自分が、小次郎だったらと考えたりもする。小次郎に対して、最大の自由を確保してやりたい。そこで、三無主義として、躾を強要しない。鎖に繋がない。散歩以外は鎖をしない。我が家では、小次郎が、家の中も、外も、デッキを通して庭も自由に出入りできるようにしている。

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デッキでくつろぐ小次郎、後ろ足の組み方が少し色ぽいかな?


























二百年住宅構想への疑問

2008年07月05日 00:43

 国交省主導の補助金事業
先日、日経新聞の片隅に超長期の住宅として、二百年の寿命を持つ住宅に144億円の補助金を出すとの記事が出ていた。福田首相もTVで二百年住宅構想について話していたのを覚えている人もいると思う。まったくお笑いと言うしかない。所詮は人の金(税金)で、役人にとっては痛くも痒くもない。それどころか、いかにも立派なことしているかのようなポーズをとって、役人の存在感を示す絶好の機会と考えている。住宅業界も役所に媚を売りすり寄って、少しでも利益を得ようとしている姿は、哀れで矜持のかけらもない。ただただ、税金の無駄遣いと言うしかない。この構想を進めている人で、二百年後生存している人はいるのか?まったく無責任な話だ。

 霞が関は国民のことを考えているようで、実は自分たちのことしか考えていない。在職中どうして出世するか、自己の保身に汲々としている姿は、みすぼらしくさえある。もうとっくにエリートの偶像は落ちてしまたことに気付いていないのは役人だけかも知れない。いや、知っていても気付かないふりをしているのだろう。そのくらいの田舎芝居はお手のものだから。なぜこれほどまでに腹を立てているかと言うと、それはこれまでの国のシックハウスの対応にある。10年以上前、国を挙げて高気密、高断熱住宅を推進してきた。これに住宅金融公庫、住宅業界が足並みをそろえて大合唱。高気密住宅でなければ住宅でないかのごとく喧伝して来た。その結果はどうであったか。業界関係者でなければ詳しいことは、分からないと思うが、高気密住宅の悪影響として室内空気の汚れ、ホルムアルデヒドによるアレルギーが起きて幼い子供や老人が苦しみ、社会現象となり、国はあわててシックハウス対策として、法律で強制的に室内空気の循環をすべての住宅に義務付けた。これによる費用は、一戸の住宅で10万円以上。現在、年間約120万戸の住まいが供給されている。これには、マンションやアパートの一戸もカウントされていて、その内約半数の55万戸が戸建住宅である。これに10万円を掛ければ、莫大な金額であることが容易に推測できるだろう。この費用はすべて個人が負担している

 室内空気の循環といえば悪くないと思うかもしれないが、実態を知ると唖然とする。それは各室に換気口を設けトイレ、洗面所に設けた換気扇を24時間回し続け、2時間に1回部屋の空気を自動的に入れ替えなけらばならない。これは、建築基準法で決められた法律なのだ。実際、誰がこれを知って守っているだろうか、また守ったとしたら今問題になっている地球温暖化を加速することになる。本当は国際問題になってもおかしくない。どこの国にこんな馬鹿げた法律が存在するのか教えて欲しい。そして、日頃立派な事を言っている、建築家協会、建築士会、事務所協会、等が何も発言しない。あなた方はどちらを見ているのか、役所かそれとも住民か?

 もう一度言う。誰も得をしていないのに一度できた法律を手直しすることもなく、役人も政治家もマスコミも誰も問題にしない。これは馬鹿な政治家と、無責任な役人が慣れ合いとして見過ごしていることに起因する。この話をしているとまさしく「ごまめの歯ぎしり」を実感せざるを得ない。せめてもの抵抗として私の設計する家は、高気密、高断熱を排除して建物本来が持つ呼吸できる家、光と自然な風によって換気できる家を目指している。今までの教訓として、私は、役人やマスコミの言葉を真に受けない。これまでの自分の経験と、思考回路を駆使して熟慮したうえで結論を出すことにしている。重ねて言う。二百年住宅は誰が責任を持つのか、これは国家的詐欺ではないのか、単なる税金の無駄遣いに終わらせてはならない。もっと有効なことに税金を使うべきだ。共鳴できる方は国交省のホームページに抗議しよう。無駄遣いはやめろと!