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忘年会

2008年12月31日 12:12

 今月は、10日過ぎからほとんど連日の忘年会で、胃と肝臓の休まる暇もない状態が続いた。折角、3か月かけて血糖値を下げてきたのに、たぶん元に戻ってしまったと思う。毎度のことながら酒に飲まれて、気がついたときは後の祭り、猛烈な二日酔いと共に後悔の念が湧いてくるのだが、どこか途中から火事場の便所「ヤケクソ」なんて古い洒落を思い出しながら、午前中は今日こそセーブするぞと言い聞かせているのだが、夕方にはスッカリ忘れて迎え酒。これじゃ体にいいわけないョ!

 今年は、なぜか例年より忘年会が多かった。これでも幾つかは断ったはずなのだが、それだけ付き合いが増えたと言うことなのだろう。その中でも幾つか印象に残る忘年会があった。今月半ば、建築セミナーのメンバーとの忘年会が、9年ぶりに東京であった。建築セミナーは17年前に、若手の建築家を育てる目的で代々木の建築家会館で、一年間のプログラムで研修が行われた。

 当時、青年会議所を卒業して少し時間にゆとりが出来たので、20代から30代前半が対象と知りながら、40歳になって無謀と思ったのだが、申し込んだら受理された。参加したセミナーのメンバーの中で、やはり私が最年長だった。週一度の夜の授業が終わって、いつの間にか10人程度が、帰りに居酒屋で一杯やるのが当然のようになった。年代も職場も違う若者にまぜって色んな話をするのだが、建築の話はそんなにしなかったように記憶しているが、これが楽しくて一年間通ったのかもしれない。

 皆からはオヤジと呼ばれているが、そんな彼らも今では、独立して事務所を構えている者、大手の設計事務所で中堅として活躍している者や、それぞれがそれぞれの人生を歩んでいて頼もしい限りだ。そして、隆三郎君、世話役ご苦労様でした。来春は、皆を我が家に招待するので楽しみに待ってろ!!!

 
 暮れには、今夏、完成したゆりのき台の家[施主は、大学の剣道部の先輩]で、剣道部の後輩、先輩で新築祝いを兼ねた忘年会に招待された。皆とは、卒業以来30年以上の付き合いで、会えば直ぐに学生時代にタイムスリップしてしまう。当日も、先輩が所用で少し遅れて帰宅されたのだが、姿を見ると全員で一斉に起立、その姿を見て奥さまに笑われてしまったが。条件反射でそうなってしまうようだ。
 
 後輩は奥さまに初めてお目にかかったのだが、気に入られたようだ。吹き抜けの空間に、薪ストーブの温かさが優しくて気持ちが良い。設計の段階で、人の集まる家、パーティーの出来る家を望んでおられたが、満足されているようで、設計者冥利に尽きる。来年もやろうと声を掛けて頂いた。この場を借りてお礼を言います。ご馳走様でした、お世話になりました、来年もよろしくお願いします。

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インドネシアの旅

2008年12月21日 21:11


最終章、写真交換会。

 帰国後、約一ヵ月が過ぎて、久しぶりに旅行のメンバーと会って、旅行の写真を交換しながら、旅の思い出話が尽きなかった。昼に会って食事をして散会の予定が、話が尽きなくて、そのまま夜の部へ延長。松戸にお寺を持つ、小川住職さんの独壇場で、本人曰く「体と態度と声のデカイ」のは、俺の持ち味と豪語する。話題は、お寺の増築から秩父の持ち寺の話、ソバ打ちの趣味の話まで、話題の広さ、話し続けるエネルギーに圧倒された。恐らく、豪快な風貌に似ず、きっと繊細で、サービス精神が旺盛なのだろうと思う。
 
 岡島住職さんは、我孫子でお寺と別に幼稚園も経営されていて、温厚なしゃべりと、紳士の風貌なのだが、なかなかの実業家と見た。皆さん私より先輩なのだが、一週間の旅行で、昔からの知己のように接してくれる。皆さん真言宗の住職さんなので、仏教の話が詳しいのは当然として、人生の先達として色々な経験を積まれて来ているので話題に事欠かない。

 特に興味を引かれたのは、小川住職さんの話。小川さんは松戸のお寺の他に、埼玉の秩父に二つの末寺を抱えている。その一つのお寺は、約80軒の檀家さんが浄財を出し合って、数年前に本堂を新築された。そのお寺には月に一度訪れるそうだが、住職不在の時には皆で掃除をしたリ、植木や花壇の手入れを欠かさないそうだ。それも、自分たちの寺であると言う、自覚と誇りがそうさせるそうで、素晴らしい話だ。

 また、住職本人の弁よると、ソバうちには相当自信があるとのこと、しかし、こればかりは食べてみないと解らない。話の流れの中で、今年の大晦日お寺で読経を上げながら、檀家さんに年越し蕎麦を振舞うのが恒例だそうで、そこに招待された。今から楽しみにしています。小川さんよろしく!!

インドネシアの旅

2008年12月15日 02:10

ジャワ島 その (4)

 ジャワ島には、インドネシアの人口の 60%、約1億3千万の人が住んでいる。ジャワ島の東部には、首都ジャカルタがある。今回の旅行では、ジャワ島中部の古都ジョグジャカルタから約40kmのボルブドゥール遺跡を見学する為に、遺跡に隣接するマノハラホテルに一泊した。豪華とは言えないが平屋のビラ風の建物で、清潔で素朴な感じが良い。ホテルには夕方到着したので、ホテルのレストランで夕食をとった。こちらは一年を通して高温多湿のため、ほとんどのレストランには窓が無く吹きさらしの状態だ。

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コテージ風のホテルの客室

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庭園から見たレストランの建物。

 このホテルのレストランも例外では無く、丸柱だけで屋根を支えていて、大きな東屋(あずまや)のようだ。レストラの周りは、とっても手入れの行き届いた広い庭園に囲まれていて気持ちが良い。夜ともなると、さすがに気温も下がって、体感温度で22度くらい、エアコンが無くても過ごし良い。食事も私達のグループ以外は、一組だけで貸し切り状態、皆でインドネシア料理を堪能した。翌朝も同じレストランで朝食を済ませると、歩いてボルブドゥール遺跡へ、ホテルの庭園を少し歩くと遺跡が見えて来た。

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ホテルの庭園から見たボルブドゥールの遺跡
 
 夜に着いて周りの景色が良く分からなかったのだが、遺跡は隣接していてホテルの庭に遺跡へのゲートがあった。ボルブドゥール遺跡は、世界遺産にも登録された仏教遺跡だ。これは、八世紀後半に建造された建物で、この地を支配していた王国の滅亡で、その後ジャングルに埋もれていて、
18世紀に発見された。そして、当時植民地として統治していたオランダの手によって発掘、整備された。壮大な遺跡だが、人の住む建物ではなく、仏塔と考えられている。

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階段ピラミッド状に積み上げられた遺跡を下から見る。
 
 その規模は、底辺120m角の基壇の上に九層の階段ピラミッド状の火山岩で造られている。五層の方形基壇の縁は壁になっていて、露天の回廊がめぐらされている。その総延長は、約5kmの回廊には、仏教説話に基づいた1460面に及ぶレリーフで、仏陀の生い立ちから業績が物語としてつづられている。圧巻は三層の上部円形基壇の上に造られた72基のストゥーバ(仏塔)、その内部には仏像が納められている。この遺跡そのものが仏教的宇宙観を表現した不思議な小宇宙を造り出している。

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仏陀の生い立ちからの物語がレリーフとして壁に彫られている。

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壁に組み込まれた仏像。

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鐘を伏せたような仏塔の群れ。

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仏塔の群れは、小宇宙を思わせる不思議な空間を造り出している。

インドネシアの旅

2008年12月06日 16:11

バリ島 その(3)

 バリ島の地形は、南部を足の部分とするひな鳥の形をしている。北の方は山岳地帯で、湖もある高原地帯。東部には、バリ.ヒンドゥー教の総本山、ブサキ寺院があり、背後に聖なる山、アグン山、標高3,142mがそびえている。西部は山岳地帯で国立公園になっている。南部は海岸沿いに高級リゾートホテルが点在し、ングラ.ライ国際空港近くにはクタやレギャンの繁華街がある。中部は棚田がとても美しい緑の田園地帯。
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バリ中部の棚田の景色、見る者には美しいだけだが、農作業に従事する人の労力は大変だ。
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地元の農家のおじいさんと仲良くツーショット

 特にウブドは、京都の様な古都で、バリの優れた芸能と工芸品を見ることができ、文化と芸術の中心地だ。バリでは古くからの信仰として、山は神聖で、海は不浄と考えられている。このことが幸いして、島の南部に位置する海岸地帯は、神聖な地域とは考えられていなくて、リゾート開発を進めることが出来たようだ。
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マヤウブドホテルの現地の住宅を模したコテージ
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ホテルのレストランから見た手入れの行き届いた中庭を眺めながらの朝食はとてもおいしかった。

 北部山岳地帯から南部の海岸に流れる水は、中部の田園地帯では、古来より網の目ように水路が整備されていて、水田に水が引かれている。日本でも江戸時代、水田の水の分配は農民にとっては、生死にかかわる大変重要なことであったように、バリでも同様に大切なことであった。そこには、古くから水の分配のルールがあって、お互いを尊重し、譲りあいの精神が守られて来た。そのことで、古来よりバリの人たちは、争いを好まない穏やかな性格が形成されたようだ。
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バリ.ヒンドゥー教の総本山ブサキ寺院
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所せましと置かれた仏像、家具、置物の工場兼販売所

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工場の裏の作業場で職人さんが彫刻をしている所。写真では写しきれない程の大小の作品が埃をかぶって置かれていた。売れなくて長い間造り続けられたことが分かる。
 
 最近では、農業より観光が主になってきて、仕事を求めてバリ島以外から出稼ぎに来る人も増えて来て、夜の歓楽街の治安の悪化が心配されている。バリの物価は日本に比べて5~10分の1くらいと思うが、1年を通して30度くらいの気温なので、衣服にお金をかけなくて良い。食費も安いが現地の人は、質素な上に量もそんなにとらない。一度、ホテルの外の現地の食堂で、小奇麗な店を選んで入った時のこと。
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 町で見かけた小奇麗なレストラン、ここでのランチのメニューは1種類だけ。中では天井で扇風機も回っていて奇麗だが、ハエの多いのには閉口する。トイレは使用した後で横に置かれたバケツから手桶で水を流すのが普通だ。下がりの膜には、バビグリンと書かれていて、これはバリ独特の豚の丸焼の料理で、夜には出すのだろうが確認できなかったのが残念。しかし、後日この料理を食べること出来た。皮はこんがりと北京ダックのように香ばしく、身はどちらかと言うと、鶏肉のようにさっぱりしていた。ちなみにその店では、チャーハン風のご飯と、豚の切り身を、現地の作法に従って右手で混ぜながら食べた。なるほどホークやスプーンで食べるより食事をしているって感じがして悪くなかった!

 ランチを頼もうとしてメニューをお願いしたら無いとの返事、ランチは1種類だけ、すぐに15cmくらいの小さなプラスチックの皿に、焼き鶏2串とチャーハン、野菜の炒め物を一盛りにして、それにプラスチックの茶碗にライスとスープが運ばれてきた。ランチはこのセットだけだそうで、食事中に華僑に見える家族が、黒いベンツで乗り付けて来たのだが、見ていると同じセットなので納得した。店で食事をしない人は、テイクアウトでサテイと呼ばれる焼き鶏のようなものを4~5本と、ライスを紙に包んで外で食べている。大抵の人の昼食は50円から100円くらいの食事代だと思う。飽食の日本では毎日、賞味期限切れとして、大量の食べ物が捨てられていると思うと胸が痛む。