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すまいの知恵袋 (6)『家相は迷信か?』

2009年02月27日 10:50

家相を科学する

 「鬼門」と言う言葉は、建築に関係ない人でも、何処かで耳にしたことがあると思う。それに対して「裏鬼門」て、聞いたことがありますか。この言葉を知っている人は、家相のかなりの通と言っていいでしょう。さて、鬼門の由来を知っておくと、家相を考えるときの役に立つので、少し解説しておきたい。

 先に記したように、家相は古来の黄河中流域で発達した。日本が奈良時代の頃、中国では唐の都は長安で、城壁に守られた都の北東の方角は、古来より騎馬民族が住む地域で、その北方民族にたびたび襲来されたので都に住む人は、その地域を鬼が住と思うほど、恐れ、忌み嫌っていたので、その方角の門を鬼門と呼んだ。その反対方向の南西の方角にはゴビ砂漠が広がっていて、冬から春先にかけて日本でも知られている、黄砂で目も見えないほどの砂嵐となって人を困らせる。このように、鬼門の謂われには、風土、地域、歴史的背景がある。

 江戸は最初に、太田道灌が開いた町だが。後の徳川幕府は、家相の思想を取り入れて、江戸城から北東の鬼門に位置する上野に寛永寺を建て。南西の裏鬼門に、芝増上寺を建てて厄除けとした。現在の都市計画的発想が、家相に由来しているのが面白い。昨年、シンガポールに行って来たのだが、シンガポールの都市計画は、全て風水の思想で計画されているのを聞いて興味深かかった。

 前置きは、これくらいにして、実際に家相で言われていることを、いくつか例に挙げて、現在の科学的視点から検証してみたい。

 家相は、土地を含む周りの環境、敷地の選び方、間取り、建築の構造、建築材料、建築設備など、詳細で多岐に渡って記されているので、紙片がいくらあっても足りないので、代表的な言い伝えをいくつか取り上げてみたい。

 間取りを例にあげると、皆さんが一番気にする鬼門について、この位置には、不浄なものを置かない。ご不浄と呼ばれるくらいだから、トイレは一番嫌われる。それでは、トイレの位置でどこが良いかと言うと特にない。毎日、一番お世話になるところを、忌み嫌うのもどうかと思うのだが、昔は汲み置き式のトイレで、冬は寒く、夏はその匂いに悩まされたものだ。冬には、北風がもろに吹きこんで、急激に体温を奪われたところで力むので、脳溢血で倒れるなど健康上も良くなかった。また、夏には、床下を通ってその匂いが部屋に充満するのでこれも、健康に良くなかった。

 幼いころ、田舎の家では、便所(この言い方が相応しい)は、お母屋から離れた別棟にあって、電気もなくて夜、便所に行くのが怖かった記憶がある。しかし、現在の環境を見ると、都市部では、下水の普及率は80パーセントを超えている。この視点で考えると、トイレは清潔で、むしろ読書には最適な居心地の良い場所と言える。だから、鬼門は関係ないと言えるのだが、気にする人のために、出来るだけ鬼門は避けて計画するようにしている。また、洗面所、風呂も同様に不浄と考えられていたのだが、それは、下水が完備していない時代の話だから、トイレと同じように扱って良い。

 間取り上、どうしても水回りは北側に配置されることが多い。そこで、家相から学ぶことは、体温の急激な変化は、健康に良くないことを教えているので、暖房に考慮して小さなヒーターや、暖房装置を設置することも考慮すると良い。命には代えがたいのだからこれくらいは、贅沢と言えないだろう。

 家相では、便所が門から入った正面にあるのは凶と指摘している。これは、現在にも当てはまる。玄関を入って正面に便所があるのは良くない。見た目もそうだが、来客があると便所にも行けないし、用を足しているとそれこそ雪隠(せっちん:便所のこと)詰めになって、出るに出られないことにならないように要注意。

「段梯子(だんばしご)は、家の中央の場所に設けることを忌むなり。」(家相秘伝集より)

 現在の間取りでは、家の中央に階段があっても問題にしない。それどころか、リビングのなかに階段があるのが流行している。これは、子供が帰って来た時、親と顔を会わす事ができるので、教育上良いと言うことでヤングママに評判が良い。しかし、住宅内の事故で階段での事故が、一番多いと言うデーターがある。昔は、明かりが十分でなかったので、家の中央にあると、暗くて事故が起こりやすかったと推察される。

 その他、階段の一段の高さを蹴上(けあげ)、階段の幅を踏み面(ふみづら)と言い、この寸法に注意しないと事故の原因になる。階段は、高さ18センチ、幅25センチ、くらいが理想的だ。事故を減らすには、階段の上り方としては回り階段が良い。それとは別に、鉄砲階段と呼ばれる上がり方がある。これは、真っ直ぐな梯子の様に直線で上がる階段の事で、昔の家は大抵この形式だった。この謂われは、落ちるとズドーンと真っ直ぐに落ちて、鉄砲で撃たれたように、即死するゾとの洒落だ。昔から、階段の事故は多かったと思われるので、階段には注意しろと言うこと、いつの時代も、怪談は怖い。

 次回は、現在でも参考になる「言い伝え」について話をしたい、乞うご期待!!

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映画『おくりびと』その(2)

2009年02月24日 08:04

『おくりびと』米アカデミー賞を受賞!

今年、日本アカデミー賞を受賞した時、昨年見た映画の中でも『おくりびと』は、特に印象に残った映画だった。その時、このブログでも映画の感想を書いたのだが、今日、アメリカのアカデミー賞を受賞したことをニュースで知った。最近では、イタリアで開催されたG7の会議の後で、財務大臣が酔っ払って記者会見して世界に恥をさらし、情けなく,腹立しい思いをしていた。

 しかし、この映画が、アカデミー賞を受賞したことで、日本の文化や、日本人の繊細さが、評価されたことを誇りに思う。昨年は、物理化学の分野で3名の学者がノーベル賞を受賞して話題になった。今回は、2つの部門でアカデミー賞を受賞、科学や文化の分野では、世界に認められる活躍をしている。

 それに比べると、政治のレベルの低さは、目を覆うものがある。この国のリーダー(本人以外は、誰もリーダーと認めていないのだが)は、愛読書はマンガと平気で言ってのける。あの漢字の読解力は、あきれるばかりだ。彼には、それを指摘してくれる、友人がいなかったのか、本人が無能なのか、どちらにしても可哀そうとしか言いようがない。
 
 政治も経済もマンガの知識から得ていると言うが、まんざら冗談だとも思えない。政治のレベルは、その国の国民のレベルだと言われるが、そうとばかりは言えないと思うが、ある程度は認めざるを得ない。この国の閉塞感を打破するには、政治の仕組みを変えるしか、ないのではないかと思う。

 今回の受賞のニュースを聞いて、映画の話をしようと思ったのだが、つい、このところの政治のだらしなさに、一言いわずにはいられなっかた。さて、この映画は、「生と死」をテーマにしながらも、暗い気持ちにならない。それどころか、誰も避けて通ることが出来ない「死」が、普通に日常の生活の中にあることを教えてくれる。納棺と言う日本独特の死者に対する、尊厳を持った繊細なもてなしは、見る人をやさしい気持ちにさせる、不思議な力を持った映画だと思った。

 そして、今回の受賞で、「死」に向き合う日本人の感性が、言葉と国境を越えて、外国人にも共感を持って受け入れられたことが嬉しい。そして、この受賞を見越したかのように、21日から27日まで八千代緑が丘駅前の東宝シネマで「おくりびと」が再上映されている、この機会にご覧になってはいかがですか!!!

すまいの知恵袋 (5)

2009年02月21日 15:49

家相について『家相の由来』

 独立して間もない頃、設計を終えた建物について、施主がプランを「家相見」に見せたところ、全く異なったプランの要望が出てきた。それは、道路が北側なのに玄関は南に設けていて、敷地が狭いので80cmくらいの敷地の脇を通って、玄関に入るプランだった。それは、余りにも合理性がないので反対したのだが、「家相見」の言うことを信じると言うので、この仕事は断った。後に、紹介者から聞いた話だが、南に玄関を、勝手口は北側に造ったので、来客が勝手口から来て困っていて、あの時のアドバイスを聞いておけば良かったと、後悔しているとのことだった。

 これは、極端な例だが、家相のことを無視して設計を進めると、後で痛い目に会うので最初に家相をどのくらい気にされるか、確認しておくことにしている。日頃、家相など気にしていない人でも、いざ家を建てようとするとき、両親や肉親に「鬼門は避けた方がいいよ。」なぞと言われると、今までそんなことに関心がなかった人も、にわか「家相教」にとりつかれることがある。

 そこで、これに対抗する知恵は無いのかと探していたところ、故人となられた、東京工業大学教授で建築家の清家清先生の「家相の科学」を読んで、それこそ目からウロコで、家相も全てが迷信ではないこと、むしろ科学的な根拠があることを知った。ただし、伝えられていることの三分の一くらいは、単なる迷信で、現代の設備や技術の進歩で、かなりの部分が当てはまらなくなっているのも事実だ。家相の根本は、安全で住み良い家を造ろうとする、庶民の願を叶えようとするものでその精神は大切だ。

 家相について話をすると、きりがないので今回から三回に分けて話してみようと思う。最初に、家相の歴史について簡単に触れておきたい。家相は、古代中国の黄河中流地域を中心に生まれた。中国人は昔から占いに強い関心を持っていて、家相も人相や手相の占いの一種で、中国人の考え方の根底には、陰陽五行説の考えが流れていて、家相の考え方もこの陰陽五行説よっている。

 これは、長い時間をかけて中国人が理論づけたもので、ほんの少しだけ触れると。陰陽説とは、宇宙が陰と陽の二つの原理から成り立っているとする考え方だ。陽とは、日当たり、陰とは、日陰を意味し相反する二つの性質を現わしている。この陽と陰の二つの原理が循環し、融合し、変化する所に、この世の全ての事象は起こるとの考えだ。

 二元論の陰陽説に対して、五行説は、自然は、木、火、土、金、水の五つの要素で形成されているとする考え方だ。この五つの要素が、盛んなったり、衰えたりすることによって、自然の移り変わりが生じ、人間の運命が変わり、宇宙の全てが循環するとの考えだ。

 この二つの説は、別々に起こったものが後に、次第に深い関係を持って融合された。家相についても、陰陽五行によって割り振られた、方角と間取りによって、吉凶を判断し、そこに住む人の運命を占った。従って、あらゆる占いは、陰陽五行の考えを基に成り立っている。

 家相が、中国から日本に入って来たのは、奈良時代と言われている。始めは、宮廷建築に利用された。東に川が流れ、西に大道があり、南に平地、北に丘陵がある土地を、青竜(せいりゅう)、朱雀(しゅじゃく)、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)、の四神相応の地として尊ばれた。その代表的土地が、奈良の平城京や、京都の平安京であった。

 以後、家相として庶民の住まいにも受け継がれ、江戸時代の中期、元禄から享保にかけて、沢山の家相書が出され、はぼ現代の家相が完成した。同時に、木造の建築技術も完成された。色々な家相書に書かれていることは、ほぼ三つに分類することが出来る。

一つ目は、建築計画、住居学的に根拠の有るものとして、現代の建築基準法や設計、技術に通じるもの。

二つ目は、家に関するタブー、いわゆる、してはならないこと。

三つ目は、科学的な根拠のない迷信に類するもの。

 次回は、一つ目の項目について、現代の建築学から見て評価できるか、具体的な例を挙げて説明してみたい。

すまいの知恵袋 (4)

2009年02月18日 15:54

建て売りと売り建て住宅の違い

 最近のように、建売住宅の売れ行きが落ちて来ると、足元を見透かすように、客から指値で値引き交渉が行われる。さて、値引きしても高い買い物には変わりはないのだが、値引きをさせて喜んでばかりは、いられないのが住宅だ。車や家電品のように耐用年数が過ぎたからと言って、簡単に下取りに出したり、廃棄処分にする訳にはいかない。

 住宅の寿命は、メンテナンスの良し悪しによって大きく左右される。だからこそ、信頼のおける建築業者や、不動産業者から購入して、長いお付き合いをすることが大切だ。業者の良し悪しは、規模の大小では無い。そこで、その見分け方のコツを下記に列記すると、

1-実際に建てた建物をよく見ること。(見た目で全体に美しいこと、外壁の仕上げが、波打っていないか角度を変えて見る。晴れた日に限る。)

2-会社の履歴を調べる。(会社設立から、どの位になるか。長く営業している方が好ましい。)

3-買った人や、近所で業者の評判を聞く。(工事中の処理、苦情などに誠実に対応したか。)

4-融資を受ける銀行の、業者の近くの支店で調べてもらう。(融資を受ける銀行だとある程度親身になって調査してくれるだろう?ただし、全面的に信用してはいけない。意外に、銀行もいい加減なところがあるので注意。)

 その他にもあるが、まずは、上記のことに気を付けて自分の目で、確かめることが大切だ。

 ところで、今回のテーマ「建売住宅と売り建て住宅」の違いを知っていますか。言葉の順序を入れ替えただけでなく、契約までの手続きがまるで異なる。建売住宅はご存知のように、建物完成後、最近ではカーポートや、植栽まで完成させて売り出す建物のことです。これの良い点は、完成した建物の外観だけでなく、内部も見ることができるので、思ったものとは違うと言う誤解が生まれないこと。

 ただし、工事中の作業を見ることが出来ないので、工事中の写真で確認することになる。(完成した建物を見るだけで満足するのではなく、工事中の写真を見せてもらうこと、工事中の写真が完備出来ていれば、それだけ監理をしっかりやった証拠でもあり、業者を決める時の参考になる。)

 最近のように、景気について先行きの見通しが立てづらくなると、「建売住宅」の売れ行きが極端に落ちる、すると業者は金利負担に耐えきれなくて、「損切り」と言って赤字覚悟で、値引きしてでも処分することになる。それに比較して「売り建て住宅」は、まず、土地を契約して、建物は別に値段を決めてから着工することになるので、業者にとってはリスクを少なくすることができるので、景気が悪くなるとこの販売方法が増えてくる。

 私が、この方式で設計する場合は、まず地元の建築業者や不動産業者から依頼を受け、施主を紹介されて、注文住宅として設計をする。何度かの打ち合わせで、プランが合意に達すると、建築の契約をして工事に着手する。売り建てと言っても完全に注文住宅で、施主の要望が直接聞けるので、お互いに誤解が生じない。完成後の満足度も高い。設計者にとって、建売との大きな違いは、建て主の顔が見えること。そして、その人を満足させることに全力を尽くせるので無駄が少なくなる。
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昨年末、船橋で完成した売り建て住宅2棟の実作。それぞれに建て主の希望を取り入れて設計した。

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奥の建物は、和風を意識し、玄関前は、ヒバの無垢の格子と、ヒノキの5寸角の柱で本物の木の良さを表現した。
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玄関正面、吹き抜けの大屋根が玄関内部に続く。
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左の建物は、白と黒の対比で蔵をイメージした。

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遠景から見た、二棟の建物。左の建物の格子で囲まれたバルコニーは、左の隣地からの視線を遮ぎる事に配慮した。

良いこと尽くめの様だが、業者と設計者の良心と誠意と技量に頼る部分が大きいので、当たりハズレがあることだ。どちらにしても、普通の人であれば、一生に一度の買い物になるので、良く見て、足を運んで、色んな人の意見を参考にして、後悔しない買い物をしてもらいたい。

第32回日本古武道演武大会

2009年02月12日 11:30

古武道演武大会を観戦して

 日本の古武道は、平安末期から鎌倉時代、室町期にかけて、自分の身を守る「護身術.闘争術」として生まれた。その後、徒手による柔術、武器を用いる剣術を中心に発達し、武術隆盛の江戸末期には、弓術五十二、剣術七百十八、槍術百四十八、柔術百七十八、もの流派があったと伝えられている。明治維新で武士階級が崩壊し、古武道が急激に衰退した後も、今日までその技と心を伝承してきた各流派の協力によって、昭和五十四年に「日本古武道協会」が設立された。〔演武大会資料による〕

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武道館会場、最初に弓術による試射で、演武会は開会された。

 今年で三十周年を記念して、二月八日、日本武道館で演武大会が開催された。実は先日、知人から招待状を頂いたので、これを機会に観戦に行って来た。午前11時から午後4時半まで、休憩なしで、剣術、柔術を中心に、40の流派の演武を見学することが出来た。日ごろ目にすることのない、手裏剣投げや、鎖鎌の演技はとても興味深かった。
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鎖鎌による演武。

 私も、古流の鹿島神伝直心影流法定(ほうじょう)の型稽古を修行しているので、特に剣術の各流派の型の演武は参考になった。日ごろの鍛錬は姿に現れるもので、遠くからでも立ち姿の良い人は、腰が据わって無駄な動きがなくて美しい。これは、能、狂言や、日本舞踊にも共通していて、臍下丹田(せいかたんでん)いわゆる、臍(へそ)の下に気をためる呼吸法から来る身のこなしで、これが出来ると体の上下の動きが少なくて、水鳥が水の上を滑る様な滑らかな動きが出来る。これは見るほどには簡単でなくて、長年の鍛錬が必要とされる。
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居合による演武。日本人に交じって多くの外国人が、演武しているのには驚いた。
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古流の剣道型の演武。構えた姿が美しい。
 
 剣術演武では、型稽古を重視する流派が多い中で異色だったのは、薩摩の示現流で木立に見立てた、打ち込み台に向かって駆け寄って、奇声を発しながら丸太で、左右に切り返して連続で数十回打ち込む、実践的な鍛錬法だ。これは、明治維新の時に、実践の戦闘で威力を発揮して、幕府軍に恐れられた事で一躍有名になった。
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戦国時代さながらに、鎧兜姿で演武。足をガニ股にしっかり構えないと敵は切れ無かったのだろう。

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十文字槍による演武。
 演武の中でも、目を引いたのは、楊心流(ようしんりゅう)と言う薙刀術(なぎなたじゅつ)で、若い女性による薙刀の演武が、艶やかな振袖で演じられたのだが、日ごろの稽古の成果が表れていて、スピードや、流れるような動作が素晴らしかった。
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艶やかな振袖姿で、薙刀の演武を披露。

 最後に、火縄銃の演武では、号砲一発、炎と煙が館内に満ちて、観客全員が、まさに度肝を抜かれて唖然とした後、歓声と拍手で全ての演武が終了した。観戦する前は、多少の興味と好奇心で、剣術の演武が終われば帰ろうと思っていたのだが、各流派の真剣な演武に時を経つのも忘れて見入ってしまった。そして、現在も日本の各地で古武道が継承されていることに、敬意を表すると同時に、より多くの人に知ってもらいたいと思った。
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火縄銃の射撃、もちろん空砲だが、炎と煙と轟音には驚いた。これが何千丁と揃って、発射されれば
雷鳴の様に凄まじかったのだろう。大阪城の淀殿の驚きもさぞやと思われる!

すまいの知恵袋 (3)

2009年02月06日 00:30

「徒然草」に学ぶ

 「方丈記」が書かれてから、約120年後、鎌倉時代の1331年に、日本三大随筆の一つ、徒然草が兼好法師によって記された。「つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と、この書き出しは、今でこそ、あまりにも有名な名文として知られているが、当時はほとんど人に知られず、埋もれていたそうだ。江戸時代になって、中世文学の研究が進んだ中で、評価を受けることになる。

 生家の吉田神社は、貴族の藤原家の守護神社として名家であった。本名は吉田兼好、北面の武士として宮廷に仕えたが、文字通り宮仕えの窮屈さに耐えかねて出家する。歌人としても都では知られていたが、出家後、46歳の頃に「徒然草」を書いたとされている。

 なぜ、兼好法師の履歴と時代を紹介したかと言うと、「徒然草」の中で、住まいについて触れた文章の理解に役立つと思うからだ。そして、「方丈記」が書かれた頃に比較して、庶民の住まいや、くらしに大きな変化は無かった。そこで、二人の偉大な文筆家が、住まいの何に関心を持ったのか、とても興味があった。

 鴨長明は、住まいは、単なる住むための器で、雨露が凌げれば良く、精神性が高ければ、知的な生活は、営めると記している。これは、建築の視点からすると、建築計画のソフトの部分で、住まいの有様(ありよう)、即ち、住まい方を教えて呉れている。

 一方で、兼好法師は、「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑きころわろき住まいは、堪えがたきことなり。深き水は涼しげなし。浅くて流れたる、はるかに涼し。細かなる物を見るに、遣戸(やりど)は蔀(しとみ)の間よりも明し。天井の高きは、冬寒く、燈(ともしび)暗し。、、、、」と。

 これを、建築的に解説すると、『日本の夏は蒸し暑いので、家を造る時は、屋根の出を大きく取って日陰を造り、風通しの良い間取りを工夫する。この工夫の無い家は、暑い夏には堪えがたい。水の流れも深いのは涼しそうでないが、浅くてたえず流れている方が涼しげだ。また、遣戸(内側から外に持ち上げる窓)より、蔀(引き違いの戸)の方が、開口が大きく採れてより明るいので良い。天井の高い家は、冬は寒くて、燈火が届きにくいので暗く感じる。』と具体的な家の造り方に言及していて、現在の住まいづくりにも参考になる。

 「徒然草」では、建築計画でも、ハードな部分、環境を含めた技術的なことに言及しているのが面白い。最近でこそ、環境や、省エネ住宅について声高に語られているが、すでにこの時代に、住まいは、環境を考慮するべきだと言うことを教えてくれている。

 古来より、日本人は、自然と対立するのでは無く、自然と調和し,共生して生きていくことを大切にしてきた。これからは、限られたエネルギーをどう使うか、先人の知恵に学んで生活することが大切だと思う。少なくとも、外国人に「モッタイナイ」の心が大切だ、などと言われない様にしたいものだ。

すまいの知恵袋 (2)

2009年02月02日 13:05

[方丈記]に学ぶ

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる、例えなし。」で始まる方丈記は、鴨長明(かものちょうめい)によって、鎌倉時代(1212年)に京都の日野山に方丈の庵を結んだことから、方丈記と名付けられ、日本三大随筆の一つとされる。因みに、方丈(ほうじょう)とは、3メーター角のことを指し、約4.5畳の広さを表す。

 方丈記の中で、この庵のしつらえを細かく描写しているのだが、要するに一人で、寝て、起きて、読書し、食事もできる備えになっている。現在のワンルームを独立させたようなものだが、風呂、トイレはない。これは、専ら自然に頼ることになる。このことは、基本的でシンプルな住まいでも、十分に知的な生活が営めることを示唆している。

 鎌倉時代初期、公家や武家の住まいは、奈良、平安時代を通じて、寝殿造のような住宅形式が、ほぼ完成されたものとなっていた。しかし、一方で、庶民の住まいは、質素で貧しいものであった。そうした時代の中でも、彼の住まいは、きわめてシンプルで質素であった。そこには、精神的な高さを求めて、物質的なものにこだわらない生き方、即ち形而上的生活を大切にした様子が窺われる。

 随筆の中で住まいについて、興味ある一文があるので紹介したい。
「その家の有様、よのつねにも似ず。ひろさはわづかに方丈、たかさは七尺がうちなり。所をおもい定めざるがゆゑに、地を占めて、造らず。土居を組み、うちおほひを葺きて、継目ごとに、かけがねをかけたり。もし、心にかなわぬ事あらば、やすく他へ移さんがためなり、その、改め造る事、いくばくの煩ひかある。積むところ、わづかに二両、車の力を外には、さらに、他の用途いらず。」

 これを、私的に解釈すると、この家は、普通の家と違って、大きさ三メーター四方で、高さ2.1メーター位の小屋を、金物で留めて造り、この場所が面白く無くなったら、いつでも二台の荷車に乗せて、簡単に引っ越し、移築出来るので都合が良い。

 現代で言うモビール.ハウスの発想だ。それくらい住むとこや、住まいの大きさにこだわっていなかったことの証だろう。アメリカでは全人口の10%位がモビール.ハウスに住んでいるようだが、移民と牧畜文化と、私達の農耕文化を一緒にするすることは出来ないが、プレハブ住宅と同様に、モビール.ハウスも選択肢の一つになっても、良いのではと思う。或る時、ふと風に吹かれて、何処かに行けたら良いのだが、そうなると、固定資産税をどう掛けるのか、税務署泣かせの家になるのだろうか!!!