2009年03月31日 11:35
武士道について思うこと
今回、ワールド.ベースボール.クラッシクで日本野球が二連覇したことは、大変な偉業であると同時に、日本中に感動と喜びをプレゼントしてくれた。これで勝てなければ、監督、コーチが、マスコミからどれほどのバッシングを浴びたか、用意に推測できる。最近の政治やスポーツの報道記事をみと、一方的かつ、ヒステリックで理性が感じられない。彼ら報道に携わる連中は、まるで自分たちが正義の騎士のような面をしながら、一方では権力に迎合する姿には、何ら矜持が感じられない。
マスコミ批判はこれくらいにして、今回の原監督の言動が興味深かった。あるスポーツ紙によると原監督は、新渡戸稲造の「武士道」を愛読しているそうだが、彼の発言はある意味、長嶋前監督に似たところがあるが、長嶋氏ほど、エキセントッリクでないところが、天才とは違うところだろう。彼は、かなり無理して美辞麗句を並べようとする傾向があるが、実は何が言いたいのか解らないことがある。しかし、今回は「武士道」を意識して、責任を取る覚悟が出来ていたのだろう。感情を抑えながらも、表情に悲壮感がなくて良かった。
それに比較して、前回の北京オリンピックで惨敗した後の、星野監督の言動は実に見苦しかった。いまだに、星野が、TVでしゃべっているのを見ると嫌悪を感じる。今回の結果を見て、やたらと原監督の采配を褒めているのは、自分への風当たりを考慮したものか、猫なで声でしゃべるのはやめろ。アンタは、北京オリンピックを総括して次に伝えると、言っていたのに何ひとつ反省も総括もしていない。そんなアンタに今回の結果について、マスコミで評論する資格はない。又、そんな人に、マスメデイアもインタビューして恥ずかしくないのか情けない。
WBCに話を戻すと、日本にとって大成功だろう。アメリカも結果論で、あれこれ言い訳をしているが潔くない。一方では、日韓が五度も戦わなければならなかったことは、次回、運営上の工夫をして欲しいが、日韓戦はどれも素晴らしかった。特に決勝戦は、手に汗握る戦いで、一球一打に心臓がバクバクして、野球ってこんなに面白かったのかと改めて思った。プロとして活躍している超一流の選手が、高校野球のトーナメント戦のように顔色を変えて必死にプレイする姿は、どんな言葉に勝る感動を伝えてくれた。
今回、侍ジャパンと、面映ゆくなるようなネーミングをしたが、一戦一戦勝つたびに、抵抗が無くなってきた。このネーミングが、原監督のアイデアとは素直に受け取れない。これを仕掛けた知恵者が、どこかにいて陰でほくそ笑んでいるのだろう。侍と言う響きに、イチロ-でさえかなりのプレッシャーを感じたようで、他の選手も同様だったのだろう。多寡が野球、されど野球、日々真剣勝負のような戦いをしている選手たちは、まぎれもなく侍のDNAを受け継いでいるのだ。そんな彼らに、武士道精神を掲げて臨んだ原監督の言動は、少し芝居がかっていたが、解りやすくもあった。
決勝戦の勝因は、色々な要素が挙げられる。イチローの決勝打が素晴らしかったのは言うまでもないが、一番印象に残ったのは、内川選手のレフト右の打球をスライディングしながら逆シングルで捕球して、打者を二塁で刺したプレイは本当にすごかった。内川選手の勇気に侍を見た。横浜べィスターズでは、内野を守っているのに、なれない外野での守備で、あの打球を果敢にスライディングしてキャッチした時、まるでボールがグラブに吸い込まれるように入った。あの瞬間は、神が下りた瞬間のように見えた。あれを後ろへ逸らしていたら、点を与えてその後の展開も解らなかった。
また、韓国チームの再三の併殺プレイは、称賛に値する。高い技術と闘志が生んだプレイで、とても緊張感のある良いゲームになった。結果として日本が勝ったが、どちらが勝ってもおかしくないゲームであった。この両チームに比較して、中南米やその他の外国のチームは、簡単なミスが目立って、大味な凡戦に見えた。
今回、侍ジャパンのネーミングで、侍の字を当てて、武士の字を当てなかったのは、正解だと思う。武士では、硬すぎて違和感を持つ人も多かっただろう。武士とか武士道の言葉になぜか違和感を持つのは、武士道と言う言葉が、時の為政者によって都合よく利用されて来た歴史があるからだ。武士道について江戸時代の国学者も随分と言及しているが、幕末から明治維新に活躍した、山岡鉄舟が記した武士道は、実践から見たもので興味深い。
鉄舟は、幼少から父の勧めで、剣、禅、書の修行を積んで45歳で剣の道で大悟する。鉄舟は、幕末に江戸城無血開城のために、勝海舟の命を受け、単身、官軍の中を突破して駿府に大本営を置く、西郷隆盛に会って説得に成功する。以後、西郷の信任厚く友情は西郷の死まで続く。海舟とは生涯を通しての友人であった。明治には天皇陛下の侍従として仕え信任も厚く、青年天皇に影響を与えたようだ。鉄舟は、私利私欲に囚われない誠意の人であった。鉄舟、幼名を鉄太郎。その彼が25歳の時に、武士道について書いたものがあるので、その訳文の一部を紹介したい。
「わが国のひとびとのあいだには、一種微妙な道の思想がある。それは神道や儒教でなく、また仏教でもなく、その三道が融和してできた思想であって、中古の時代から主として武士の階層においていちじるしく発達してきたのである。わたしは、この思想を武士道と呼ぶ。中略、、、要するに、人の世の移り変わりや、いろいろの歴史的経験によって、われわれの物の考えのなかにつくられた、道徳の一種であるといえばよいだろう。」
侍ジャパンから随分飛躍した感じがあるが、日本人を律している価値観の深層心理の中に武士道は影響を与えているように思う。今回の代表メンバーも、侍と言う言葉にかなり縛られていたようだ。それを代弁するように、試合後、イチローが「侍になれて良かったと」言っていることでも良く分かる。それにしても、最高の結果を出して、日本人に誇りと勇気と幸せをプレゼンとしてくれて、ありがとう!!!
今回、ワールド.ベースボール.クラッシクで日本野球が二連覇したことは、大変な偉業であると同時に、日本中に感動と喜びをプレゼントしてくれた。これで勝てなければ、監督、コーチが、マスコミからどれほどのバッシングを浴びたか、用意に推測できる。最近の政治やスポーツの報道記事をみと、一方的かつ、ヒステリックで理性が感じられない。彼ら報道に携わる連中は、まるで自分たちが正義の騎士のような面をしながら、一方では権力に迎合する姿には、何ら矜持が感じられない。
マスコミ批判はこれくらいにして、今回の原監督の言動が興味深かった。あるスポーツ紙によると原監督は、新渡戸稲造の「武士道」を愛読しているそうだが、彼の発言はある意味、長嶋前監督に似たところがあるが、長嶋氏ほど、エキセントッリクでないところが、天才とは違うところだろう。彼は、かなり無理して美辞麗句を並べようとする傾向があるが、実は何が言いたいのか解らないことがある。しかし、今回は「武士道」を意識して、責任を取る覚悟が出来ていたのだろう。感情を抑えながらも、表情に悲壮感がなくて良かった。
それに比較して、前回の北京オリンピックで惨敗した後の、星野監督の言動は実に見苦しかった。いまだに、星野が、TVでしゃべっているのを見ると嫌悪を感じる。今回の結果を見て、やたらと原監督の采配を褒めているのは、自分への風当たりを考慮したものか、猫なで声でしゃべるのはやめろ。アンタは、北京オリンピックを総括して次に伝えると、言っていたのに何ひとつ反省も総括もしていない。そんなアンタに今回の結果について、マスコミで評論する資格はない。又、そんな人に、マスメデイアもインタビューして恥ずかしくないのか情けない。
WBCに話を戻すと、日本にとって大成功だろう。アメリカも結果論で、あれこれ言い訳をしているが潔くない。一方では、日韓が五度も戦わなければならなかったことは、次回、運営上の工夫をして欲しいが、日韓戦はどれも素晴らしかった。特に決勝戦は、手に汗握る戦いで、一球一打に心臓がバクバクして、野球ってこんなに面白かったのかと改めて思った。プロとして活躍している超一流の選手が、高校野球のトーナメント戦のように顔色を変えて必死にプレイする姿は、どんな言葉に勝る感動を伝えてくれた。
今回、侍ジャパンと、面映ゆくなるようなネーミングをしたが、一戦一戦勝つたびに、抵抗が無くなってきた。このネーミングが、原監督のアイデアとは素直に受け取れない。これを仕掛けた知恵者が、どこかにいて陰でほくそ笑んでいるのだろう。侍と言う響きに、イチロ-でさえかなりのプレッシャーを感じたようで、他の選手も同様だったのだろう。多寡が野球、されど野球、日々真剣勝負のような戦いをしている選手たちは、まぎれもなく侍のDNAを受け継いでいるのだ。そんな彼らに、武士道精神を掲げて臨んだ原監督の言動は、少し芝居がかっていたが、解りやすくもあった。
決勝戦の勝因は、色々な要素が挙げられる。イチローの決勝打が素晴らしかったのは言うまでもないが、一番印象に残ったのは、内川選手のレフト右の打球をスライディングしながら逆シングルで捕球して、打者を二塁で刺したプレイは本当にすごかった。内川選手の勇気に侍を見た。横浜べィスターズでは、内野を守っているのに、なれない外野での守備で、あの打球を果敢にスライディングしてキャッチした時、まるでボールがグラブに吸い込まれるように入った。あの瞬間は、神が下りた瞬間のように見えた。あれを後ろへ逸らしていたら、点を与えてその後の展開も解らなかった。
また、韓国チームの再三の併殺プレイは、称賛に値する。高い技術と闘志が生んだプレイで、とても緊張感のある良いゲームになった。結果として日本が勝ったが、どちらが勝ってもおかしくないゲームであった。この両チームに比較して、中南米やその他の外国のチームは、簡単なミスが目立って、大味な凡戦に見えた。
今回、侍ジャパンのネーミングで、侍の字を当てて、武士の字を当てなかったのは、正解だと思う。武士では、硬すぎて違和感を持つ人も多かっただろう。武士とか武士道の言葉になぜか違和感を持つのは、武士道と言う言葉が、時の為政者によって都合よく利用されて来た歴史があるからだ。武士道について江戸時代の国学者も随分と言及しているが、幕末から明治維新に活躍した、山岡鉄舟が記した武士道は、実践から見たもので興味深い。
鉄舟は、幼少から父の勧めで、剣、禅、書の修行を積んで45歳で剣の道で大悟する。鉄舟は、幕末に江戸城無血開城のために、勝海舟の命を受け、単身、官軍の中を突破して駿府に大本営を置く、西郷隆盛に会って説得に成功する。以後、西郷の信任厚く友情は西郷の死まで続く。海舟とは生涯を通しての友人であった。明治には天皇陛下の侍従として仕え信任も厚く、青年天皇に影響を与えたようだ。鉄舟は、私利私欲に囚われない誠意の人であった。鉄舟、幼名を鉄太郎。その彼が25歳の時に、武士道について書いたものがあるので、その訳文の一部を紹介したい。
「わが国のひとびとのあいだには、一種微妙な道の思想がある。それは神道や儒教でなく、また仏教でもなく、その三道が融和してできた思想であって、中古の時代から主として武士の階層においていちじるしく発達してきたのである。わたしは、この思想を武士道と呼ぶ。中略、、、要するに、人の世の移り変わりや、いろいろの歴史的経験によって、われわれの物の考えのなかにつくられた、道徳の一種であるといえばよいだろう。」
侍ジャパンから随分飛躍した感じがあるが、日本人を律している価値観の深層心理の中に武士道は影響を与えているように思う。今回の代表メンバーも、侍と言う言葉にかなり縛られていたようだ。それを代弁するように、試合後、イチローが「侍になれて良かったと」言っていることでも良く分かる。それにしても、最高の結果を出して、日本人に誇りと勇気と幸せをプレゼンとしてくれて、ありがとう!!!
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