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ゴールデンウイーク

2009年04月28日 13:22

 
小次郎の里帰り
 
 ゴールデンウイークに小次郎は、里帰りを予定している。私は、5月3日から5日まで、京都で剣道の演武大会が開催されるので、見学と朝稽古に参加する。その間、小次郎を散歩に連れて行けないので、小次郎は実家に里帰り。ブリーダーさんが、面倒を見てくれるので安心だ。毎回、実家が近づくと空気の匂いで分かるのか、窓から鼻を出して、しきりに匂いを嗅いで落ち着かない。実家に里帰りできる犬などそうはいないと思うが、小次郎も喜んでいるようだし安心だ。

 しかし、今回は、実家に行く前に、動物病院で苦手の予防接種が待っている。芝犬は、小心なのか用心深いのか、病院の前に来るとしゃがみ込んで動かない。病院に入って診察台に乗せるのも一苦労。上がると今度は、ガタガタ震えて注射するまでが大変だ。しかし、病院に連れてゆくまでは、当の本人は一向に気がついていないのが幸いだ。何故なら、小次郎は車が大好き。土曜日には、車で少し離れた公園まで散歩に連れて行くから、車を見るとすぐに飛び乗ってくる。

 以前にも、自宅から脱走して捕まらなかった時も、車を持って行ってドアをあけると乗ってきて逮捕したことがある。何はともあれ、小次郎には、実家があり、主治医までいて幸せだと思うが、それ以上に私たち家族は、小次郎から癒されていて幸せだと感じている。小次郎のいないゴールデンウイークは、妻も実家に里帰り、長男は旅行、次男は仕事とそれぞれの過ごし方があるようだ。私も、暫し仕事を忘れて、皐月の京都を楽しんで来よう。
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長崎のハウステンボス

2009年04月21日 11:30

 週末に、甥の結婚式が、長崎のハウステンボスで行われたので出席してきた。自宅のある八千代中央駅を9時に出発して、羽田から飛行機で福岡へ、博多駅からJRでハウステンボス行きの特急に乗り換えて16時に到着、約7時間の旅だった。乗り継ぎの時間もあって思いの外、時間がかかる。シンガポールくらいまで旅行できる時間だ。

 当日は天気が良くて、飛行機から陸地が良く見えた。成田と大阪は良く飛行機に乗るのだが、この路線は、成田からすぐ太平洋に出て海の上を飛行するので、遠くに陸地を見ながら晴れた日には遠くに富士山が見える。しかし、羽田から福岡行きは、富士山のほとんど上空を飛ぶので、まだ雪の残る火口まで見えた。

 それから一路、日本を縦断するように山の上を飛行して、琵琶湖を下に見ながら、大阪の上空に達すると、淡路島から四国が見える。瀬戸内海を眼下に見ると、箱庭のように島が点在している。島の多さと四国の近さが手に取るように分かる。瀬戸大橋が、島と島を飛び石のようにつないで伸びている。

 名古屋、大阪の近郊を飛んだ時、眼下の山々の頂き付近が、熊手で引っ掻いたようにゴルフ場が見える。少し数えただけでも30から40はある。山に入ると林で区切られているので、隣合わせにゴルフ場があるのは解らないだろうが、本当に隣接して沢山のゴルフ場があるのに驚く。

 山口の上空から一度、玄界灘に出て大きく旋回して、海から福岡空港に入る。当日は風もなく海が鏡のように反射して、韓国に向かうフェリーの航跡が白く長く伸びていた。飛行機の中で読書する為に持って行った本を読むのも忘れて、約1時間余り景色に見とれているうちに福岡に着いた。

 博多からハウステンボス行きの特急は、土曜日と言うのにほとんど空席だった。ハウステンボスは、終点なので安心して居眠りをしているうちに到着した。駅に着くと、運河をまたいで橋が架かっていて、そこを渡るとハウステンボスだ。江戸時代、鎖国を通じて唯一外国との貿易が認められていた出島は、主にオランダとの交易があった。ハウステンボスは、それにならってオランダの街並みを模して造られた街だ。
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おもちゃのようなハウステンボス駅
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橋を渡るとハウステンボスのホテルが迎えてくる。
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運河に囲まれた別荘。
 前夜、甥の結婚を祝うため、家族と友人、知人とで祝杯を挙げた。翌日の日曜日、ハウステンボスのホテルで挙式。少し遅れて来た春だが、新郎、新婦の幸福そうな表情を見て安心した。親族を代表しての兄の挨拶は、感極まって言葉に詰まる場面もあったが、昔、父が私の結婚式の挨拶で緊張して、何度も言葉に詰まったのを昨日のことのように思いだした。そして、二人の門出を祝う、来賓の挨拶がとても親身に感じられて有難かった。これからの二人の幸を心から願っている。

 その夜、学生時代の友人が住む唐津へ回って、約20年ぶりに再会した。久しぶりに会う友人は、唐津駅で出迎えてくれた。彼の幼馴染が経営する、旅館と割烹、『唐津茶屋』で接待してくれた。彼の勤務する会社は、大型機械の加工をする工作機械を製作する会社で、この業界も不況の波に揉まれていると思ったのだが、中国向けの輸出が好調のようで、久しぶりに景気の良い話を聞いて気分が良かった。
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海から見た唐津城。
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夕日に浮かぶ唐津城。
 昔話に花を咲かせながら、おいしい料理と酒にすっかり酔ってしまった。窓の外に見えるライトアップされた唐津城の夜景が美しい。昼は、宴会の料理を堪能し、夜は、新鮮な刺身と日本料理がとても美味しかった。唐津に行く機会があれば是非立ち寄ってみてください、お勧めです。翌朝、岡山に出張する友人と博多駅で、名残を惜しみながら東京での再会を約して別れた。

お花見

2009年04月12日 22:13

さくらと日本人

 先週の日曜日、近くの公園で花見。大勢の人で、座る場所もないほどの盛況だった。友人が、朝の6時から場所取りをしてくれたおかげで、満開のさくらの木の下で、宴会が始まった。久しぶりに会う友人、知人、さくらが取り持つ縁でみんなも笑顔、笑顔の満開だ。外国人の姿も目立つ。我々のグループにも、アメリカ人、カナダ人と結婚した子供ずれの家族も二組いて、自然に受け入れられている。外国人にとってさくらの木の下で、酒を飲みながらの宴席も珍しいだろうが、すっかりと輪の中に入って楽しんでいた。

 NHKのニュースで、ワシントンのポトマック河畔の満開のさくらが映っていた。明治時代に、荒川土手のさくらが、日本から贈られて植樹されたものだ。戦前は、荒川土手に五色のさくら(ピンク、赤、緑、白、黄色)が、植えられていて人の目を楽しませていたそうだ。しかし、戦時中の燃料のない時にさくらの木が伐採されて燃料となった。それを復活させる活動が行われていて、川沿いに5kmに渡って植樹される計画だ。日本には、代表的な種類として49種あって、これを全て植える予定で、完成すると新たな名所となるのだろう。

 さくらは、日本人にとって特別な思い入れがある。奈良時代には、花と言えば梅の花を指す。昔から、中国人が愛する花は梅の花で、その影響からだろう。貴族によって、さくらが歌に詠まれ、花見のうたげが持たれたのは、平安時代以降のようだ。江戸時代には、庶民も花見を楽しむようになった。世情が安定して、生活にもゆとりが出てきた証で、平和の象徴と言っても良い。しかし、明治以降、さくらは、国家の象徴であると共に、権力に利用された悲劇の象徴でもあった。さくらには、華やかな影に、はかなさや、かなしさが同居している。

 歌人としても有名な西行法師は、天皇を守る北面の武士だったが、若くして出家して、日本各地を旅して優れた歌を残しているが、さくらをこよなく愛していたことでも知られている。

       『願わくば
          花の下にて春死なん
            きさらぎの望月のころ』

 と歌っているが、この花は桜を指している。少し悲しすぎるが、さくらの花には人をそんな気分にさせる魔力が秘められている。

 親鸞は、さくらを歌って、
     
        『明日ありと
          思う心のあだ桜
            夜半に嵐の吹かぬものかは』

 無情の世の中では、明日はどうなるか分からない。明日は無いものと思って、今を大切に生きろと教えを説いている。

 江戸時代の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)は、
        
        『敷島の
          大和心を人とわば
            朝日に匂う山桜かな』

 と歌った。この歌は、軍国主義の軍隊で、軍人の生き方の規範として利用され、有為の人材が国のために散って行った悲しい歴史がある。さくらのあでやかさの陰に、なぜか悲劇が付きまとう。後何回、花見を楽しめるのか、ふと考えてしまうのも年のせいだろうか。春爛漫のさくらを見ていると、日ごろ忘れている平和のありがたさが身にしみる。

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毎朝、通勤で通る桜並木。毎日が花見のようで贅沢だ。

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橋の上から見たさくらは、花の海のようだ。

新しくホームページ開設のお知らせ

2009年04月04日 16:01

ホームページ、リニューアルしました。

昨年、苦労してホームページを作成しましたが、リニューアルするのに、時間と能力の限界を感じてプロに委託することにしました。オリジナルホームページをベースに、もっと見やすくレイアウトも工夫して、ようやく完成しました。ぜひご覧ください。ご意見を頂ければ、大変ありがたいです。
検索については、ヤフーカテゴリーでアトリエコアと検索してください。
ヤフーで検索しても、出てきますが、以前のホームページも残していますので、いくつか検索していただくと新しいホームページも見れます。