2009年08月22日 00:08
夏の思い出
お盆の三日間、山梨の石和で、大学の剣道部の夏合宿にOBとして参加した。今回は、師範の川畑先生と大学で待ち合わせて、私が運転をして山梨へ、行きは15日の朝出発。帰りは17日の午後とお盆の上り、下りの混雑を外したのが、功を奏して割と楽に往復することが出来た。宿泊先は、大学の剣道部の先輩が経営する「ホテルうかい」石和温泉駅から笛吹き川を渡った橋のたもとにある。
我々の学生時代は、春夏、二回の合宿前にアルバイトで旅費と合宿費を貯金して、春は南、夏は北へと、行ったことのない場所と、幹部の先輩の故郷を条件に合宿場所を選んだ。お陰で大学の四年間で合計八回、色々な県を訪れることが出来た。合宿は一週間。合宿費を安く上げる為に、宿泊先はお寺や民宿だった。食事時は、配膳は下級生の仕事、洗濯も手分けしてやったものだ。
寝食を共にした先輩、後輩、同輩の絆は深くて、今も交流が続いている。合宿が終わると、何人かの先輩や同輩と旅行をしながら学校に帰って来たのは、今では良い思い出となっている。その点、現在の学生は、十数年、山梨が合宿場所になっているのは、経済的理由もあって仕方ないことだが少し可哀そうな気もする。
さて、今回は一橋大学と同じ宿舎となった。これは、偶然でなく、一橋大學師範の千葉先生と、ホテルのオナーである先輩が、千葉先生が警視庁の若い頃から親交があってこのホテルを合宿の宿舎としたのだろう。千葉先生は、元警視庁の師範で、若い頃に、全日本剣道選手権で三回も優勝された伝説の選手で、「上段の千葉」と言えば、剣道をしている人で知らない人はいないと言うくらい、私達の時代の憧れの人であり、今でも雲の上の存在だと思っていた。
ところが、学生に聞くと知らないと言う。月日の流れを感じずにはいられない。そう言えば35年位前の話だが、千葉先生が母校に指導に来られたそうだ。後でコーチの先生からお聞きしたのだが、学生との稽古では、上段を取られなくて、コーチの先生だけに上段を取ってくれたそうだ。35年前と言うと、当然彼らは生れていない。伝説の先生だよと説明すると、学生の目が驚きと好奇心に輝いていた。「帰ってお父さんに聞いてごらんと」言うと素直に頷いていた。
さて、その晩、食事を終えた千葉先生が、先輩の案内で私達の部屋に来られた。川畑先生は千葉県警の元師範で、こちらも若い頃に全国警察官の個人戦で三回優勝された実績を持ち千葉先生より先輩になり、若い頃は、警視庁で一緒に稽古された仲で、非常に親しいようだ。それは二人の会話を聞いていると良く分かる。千葉先生は、見た目は厳ついが、非常に朗らかでお話好きだ。それを、川畑先生が、にこにこ笑いながら相槌を打って聞いておられる。
そして、私はそばで緊張しながら二人の話を聞いていたのだが、アルコールも入って緊張が解けて来ると、持前の図々しさが出て、千葉先生が若いころ大学に指導に来られた時、一度だけコーチに対して上段を取られたことを繰り返し話していたそうだ。これは、翌朝、同席した後輩から聞いた話で、調子に乗って飲み過ぎて、途中からのことは覚えていない。
翌日、両校が合宿中使用している、それぞれの体育館が休館日で、県立の武道館で合同稽古をすることになった。試合稽古の後、休憩を挟んで指導稽古に移り、最後の頃合いを見て千葉先生に稽古をお願いした。最初は普通に中段を取られていたのだが、途中で突然上段を取られた。先生は指導稽古でも余程の相手でないと上段を取られないと聞いていた。
無我夢中で稽古を終えたのだが、噴き出る汗も忘れるぐらい感謝と感動で一杯だった。恐らく昨夜の話を覚えていて上段を取ってくれたものと思う。まさに瓢箪から駒。早速帰ったら、剣道仲間に自慢してやろう。ひと夏の思い出が、一生の思い出になりそうな貴重な体験に先生、先輩に感謝したい。

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千葉工大と一橋大学の合同稽古風景

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稽古後、両校剣道部員で記念写真を撮る

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両校部旗を前に指導される、先輩、コーチ

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左から、本人、川畑師範、千葉師範、大谷先生
お盆の三日間、山梨の石和で、大学の剣道部の夏合宿にOBとして参加した。今回は、師範の川畑先生と大学で待ち合わせて、私が運転をして山梨へ、行きは15日の朝出発。帰りは17日の午後とお盆の上り、下りの混雑を外したのが、功を奏して割と楽に往復することが出来た。宿泊先は、大学の剣道部の先輩が経営する「ホテルうかい」石和温泉駅から笛吹き川を渡った橋のたもとにある。
我々の学生時代は、春夏、二回の合宿前にアルバイトで旅費と合宿費を貯金して、春は南、夏は北へと、行ったことのない場所と、幹部の先輩の故郷を条件に合宿場所を選んだ。お陰で大学の四年間で合計八回、色々な県を訪れることが出来た。合宿は一週間。合宿費を安く上げる為に、宿泊先はお寺や民宿だった。食事時は、配膳は下級生の仕事、洗濯も手分けしてやったものだ。
寝食を共にした先輩、後輩、同輩の絆は深くて、今も交流が続いている。合宿が終わると、何人かの先輩や同輩と旅行をしながら学校に帰って来たのは、今では良い思い出となっている。その点、現在の学生は、十数年、山梨が合宿場所になっているのは、経済的理由もあって仕方ないことだが少し可哀そうな気もする。
さて、今回は一橋大学と同じ宿舎となった。これは、偶然でなく、一橋大學師範の千葉先生と、ホテルのオナーである先輩が、千葉先生が警視庁の若い頃から親交があってこのホテルを合宿の宿舎としたのだろう。千葉先生は、元警視庁の師範で、若い頃に、全日本剣道選手権で三回も優勝された伝説の選手で、「上段の千葉」と言えば、剣道をしている人で知らない人はいないと言うくらい、私達の時代の憧れの人であり、今でも雲の上の存在だと思っていた。
ところが、学生に聞くと知らないと言う。月日の流れを感じずにはいられない。そう言えば35年位前の話だが、千葉先生が母校に指導に来られたそうだ。後でコーチの先生からお聞きしたのだが、学生との稽古では、上段を取られなくて、コーチの先生だけに上段を取ってくれたそうだ。35年前と言うと、当然彼らは生れていない。伝説の先生だよと説明すると、学生の目が驚きと好奇心に輝いていた。「帰ってお父さんに聞いてごらんと」言うと素直に頷いていた。
さて、その晩、食事を終えた千葉先生が、先輩の案内で私達の部屋に来られた。川畑先生は千葉県警の元師範で、こちらも若い頃に全国警察官の個人戦で三回優勝された実績を持ち千葉先生より先輩になり、若い頃は、警視庁で一緒に稽古された仲で、非常に親しいようだ。それは二人の会話を聞いていると良く分かる。千葉先生は、見た目は厳ついが、非常に朗らかでお話好きだ。それを、川畑先生が、にこにこ笑いながら相槌を打って聞いておられる。
そして、私はそばで緊張しながら二人の話を聞いていたのだが、アルコールも入って緊張が解けて来ると、持前の図々しさが出て、千葉先生が若いころ大学に指導に来られた時、一度だけコーチに対して上段を取られたことを繰り返し話していたそうだ。これは、翌朝、同席した後輩から聞いた話で、調子に乗って飲み過ぎて、途中からのことは覚えていない。
翌日、両校が合宿中使用している、それぞれの体育館が休館日で、県立の武道館で合同稽古をすることになった。試合稽古の後、休憩を挟んで指導稽古に移り、最後の頃合いを見て千葉先生に稽古をお願いした。最初は普通に中段を取られていたのだが、途中で突然上段を取られた。先生は指導稽古でも余程の相手でないと上段を取られないと聞いていた。
無我夢中で稽古を終えたのだが、噴き出る汗も忘れるぐらい感謝と感動で一杯だった。恐らく昨夜の話を覚えていて上段を取ってくれたものと思う。まさに瓢箪から駒。早速帰ったら、剣道仲間に自慢してやろう。ひと夏の思い出が、一生の思い出になりそうな貴重な体験に先生、先輩に感謝したい。

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千葉工大と一橋大学の合同稽古風景

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稽古後、両校剣道部員で記念写真を撮る

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両校部旗を前に指導される、先輩、コーチ

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左から、本人、川畑師範、千葉師範、大谷先生
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