2011年03月07日 19:20
2月19、20日、一泊二日で房総半島の中央に位置する、久留里に行ってきた。この地は、周囲を山に囲まれた小さな盆地の山里だが。16世紀末、北条氏を破った秀吉から、それまで上総を支配していた里見氏から家康に与えられた。

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城山から久留里の街並みを望む
江戸時代は、久留里2万石として、交通の要所としてさかえた城下町であった。城は中世の典型的な山城として盆地を見下ろす山の上に天守閣が築かれていた。久留里の歴史を見ると、戦略的な観点で城主がたびたび変えられた事に悲哀を感じる。

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再建された久留里城の天守閣

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南西の方向から見た天守閣
江戸初期に、城主となった土屋氏にゆかりのあった新井白石が、青年のころに父と過ごした跡地が、現在も残されていた。新井白石は、1657年生まれ、68歳で没したので当時では長生きではなかったかと思う。白石は、6代将軍徳川家宣の信任厚く「正徳の冶」と呼ばれる改革を進めたのだが、残念なことに、家宣が3年で病死した為、白石は失脚する。
どの時代にも言えるのは、改革に抵抗する守旧派の抵抗は強く、白石、失脚の後はそれまで進めていた改革は元にもどされた。なぜ白石について、書くかと言うと、少し前に日経新聞の朝刊に連載された「韃靼の馬」で白石が重要な役を担っていたのに興味を持って、白石に関する本をいくつか読んで白石の事知った。
そして、今回、久留里に来て、白石がこの地に住んだ事を知り、この周囲の景色を白石も眺めたのかと思うと、感慨深いものがあった。久留里の街は、名水の里と呼ばれるように良い水が出る。江戸時代、この地の人は、竹の弾力を利用して、上総掘りと呼ばれる井戸を掘る装置を開発して井戸を掘った。今でも街の至るところに自噴式の井戸があり、街の人に利用されている。時には、近郊の町からペットボトルを持って汲みに来る人を見かける。

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街中の井戸からペットボトルに水を汲む人を見かける

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久留里駅は、単線の駅らしい風情がある
今回、なぜ久留里に来たのかと言うと、県下のロータリークラブの18歳から30歳までを対象にしたリーダーシップについてのプログラムがこの地で行われた。そこで私の所属する委員会が担当で、我がロータリーからも若い男女二人が参加するので引率して来たのだ。研修の内容は、「ウオークラリー」と言って、定められたコースを正確に廻ってタイムを競う競技を通して、チームワークやリーダーシップを学ぶプログラムだ。

2790地区ガバナー、開会式の挨拶。
実は、引率する事は知らされていたが、若い男女と一緒になって、ペアを組んで競技に参加するとは思っていなっかった。実際は、二日間ラリーに参加し、約六時間歩く事になった。ラリーは二人一組となって、あらかじめ決められたコースを曲がり角や目標物の書かれた四コマ漫画風の絵が描かれたA4のコピーを渡され、各コースのポイント間を指定された速度で正しいルートを、いかに正確な時間で回ったか採点して結果を競そう競技であった。
実際にやってみるとコマ絵に描かれた記号を謎解きのように解きながら細心の注意を払って、コースを回るのだが、実際やってみると思ったほど簡単でない。ある角を曲がり違うと決められたポイントをやり過ごして、もとに帰らなければならなくて非常なロスタイムで大きな減点になる。

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今回、ウオークラリーに参加したチームのメンバー

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Aユニットのメンバー閉校式の記念写真。A.B.C.の3ユニット9チーム38ペアー80名が参加した。
私達のチームは、初日良くなかったのだが、2日目は、前日の失敗を皆で研究し、翌日、よい結果を残す事が出来た。2日間を通して若い人たちは、10年来の友達のように親しくなって、それぞれが、2日間で色々な事を学んだようで良かったと思った。私も先入観を持って決めつけることは、失敗しやすい事や、柔軟な思考が大切だと改めて反省し、このプログラムを通して貴重な体験が出来た事を感謝している。

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城山から久留里の街並みを望む
江戸時代は、久留里2万石として、交通の要所としてさかえた城下町であった。城は中世の典型的な山城として盆地を見下ろす山の上に天守閣が築かれていた。久留里の歴史を見ると、戦略的な観点で城主がたびたび変えられた事に悲哀を感じる。

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再建された久留里城の天守閣

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南西の方向から見た天守閣
江戸初期に、城主となった土屋氏にゆかりのあった新井白石が、青年のころに父と過ごした跡地が、現在も残されていた。新井白石は、1657年生まれ、68歳で没したので当時では長生きではなかったかと思う。白石は、6代将軍徳川家宣の信任厚く「正徳の冶」と呼ばれる改革を進めたのだが、残念なことに、家宣が3年で病死した為、白石は失脚する。
どの時代にも言えるのは、改革に抵抗する守旧派の抵抗は強く、白石、失脚の後はそれまで進めていた改革は元にもどされた。なぜ白石について、書くかと言うと、少し前に日経新聞の朝刊に連載された「韃靼の馬」で白石が重要な役を担っていたのに興味を持って、白石に関する本をいくつか読んで白石の事知った。
そして、今回、久留里に来て、白石がこの地に住んだ事を知り、この周囲の景色を白石も眺めたのかと思うと、感慨深いものがあった。久留里の街は、名水の里と呼ばれるように良い水が出る。江戸時代、この地の人は、竹の弾力を利用して、上総掘りと呼ばれる井戸を掘る装置を開発して井戸を掘った。今でも街の至るところに自噴式の井戸があり、街の人に利用されている。時には、近郊の町からペットボトルを持って汲みに来る人を見かける。

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街中の井戸からペットボトルに水を汲む人を見かける

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久留里駅は、単線の駅らしい風情がある
今回、なぜ久留里に来たのかと言うと、県下のロータリークラブの18歳から30歳までを対象にしたリーダーシップについてのプログラムがこの地で行われた。そこで私の所属する委員会が担当で、我がロータリーからも若い男女二人が参加するので引率して来たのだ。研修の内容は、「ウオークラリー」と言って、定められたコースを正確に廻ってタイムを競う競技を通して、チームワークやリーダーシップを学ぶプログラムだ。

2790地区ガバナー、開会式の挨拶。
実は、引率する事は知らされていたが、若い男女と一緒になって、ペアを組んで競技に参加するとは思っていなっかった。実際は、二日間ラリーに参加し、約六時間歩く事になった。ラリーは二人一組となって、あらかじめ決められたコースを曲がり角や目標物の書かれた四コマ漫画風の絵が描かれたA4のコピーを渡され、各コースのポイント間を指定された速度で正しいルートを、いかに正確な時間で回ったか採点して結果を競そう競技であった。
実際にやってみるとコマ絵に描かれた記号を謎解きのように解きながら細心の注意を払って、コースを回るのだが、実際やってみると思ったほど簡単でない。ある角を曲がり違うと決められたポイントをやり過ごして、もとに帰らなければならなくて非常なロスタイムで大きな減点になる。

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今回、ウオークラリーに参加したチームのメンバー

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Aユニットのメンバー閉校式の記念写真。A.B.C.の3ユニット9チーム38ペアー80名が参加した。
私達のチームは、初日良くなかったのだが、2日目は、前日の失敗を皆で研究し、翌日、よい結果を残す事が出来た。2日間を通して若い人たちは、10年来の友達のように親しくなって、それぞれが、2日間で色々な事を学んだようで良かったと思った。私も先入観を持って決めつけることは、失敗しやすい事や、柔軟な思考が大切だと改めて反省し、このプログラムを通して貴重な体験が出来た事を感謝している。
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