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地震による瓦屋根の補修その後

2011年04月30日 15:40

瓦屋根の補修

 4月6日から、瓦屋根の補修工事を始めて約3週間かけて工事を終了した。瓦屋根の補修工事をするので、安全のためにも足場を組んだ。この機会に、外壁の塗装工事も同時にする事になった。外壁、軒先、軒天井、雨戸も再塗装、そして雨樋もこの地震で一部破損したので、交換する事になった。

 建物内部もトイレのタイルの破損、和室の塗り壁のひび割れ等も同時に補修した。地震の被害が至るところに出ていて、補修工事の費用も結構なものになったが、工事を終えた建物は、新築と見違えそうなくらい美しくなった。オーナーもこの姿を見て、大層満足して下さった。私も日頃お世話になっている、先生のお役に立てて良かったと思う。

 苦肉の策で棟瓦を、金属屋根に交換したのだが、これで地震が来ても安心して居られると思う。それは、屋根荷重が減って、棟を防水モルタルと金属で押えることで棟の周りの瓦もずれ無くなる。また、木造住宅の地震に対する荷重を考える時、屋根の荷重は大きな比率を持つ。構造計算するときには、重い屋根と軽い屋根の二種類に分類して、安全率を考慮した荷重を想定する。

 重い屋根は、瓦屋根が考えられる。軽い屋根は、一般に見かけるコロニヤル即ち、スレートの屋根を指す。金属屋根は、軽い屋根に分類されるがスレート屋根の1/3の重さだ。計算上は、重い屋根が90kg/㎡、軽い屋根が60kg/㎡で屋根面積にこの単位を掛けると屋根の荷重が計算される。参考に100㎡の屋根で実際に測定されたものはこれより約40%は軽く、構造計算上は安全率を大きく見ている事が解る。

 さらに、具体的に測定された屋根荷重を参考に記すと、瓦屋根で5.600kg、スレート屋根で1.880kg、金属屋根で560kgこれらの数字を比較すると、金属屋根は、瓦屋根の1/10、スレート屋根の1/3であることが解る。これにより瓦屋根の場合それだけ建物に対する負担が大きい事が解る。

 現在被害を受けている瓦屋根は、恐らく30年以上経過した建物が多いと思われる。当時と比較して最近の瓦屋根は、針金や金物で固定されているのと、地震に対して抵抗する壁の量も多く、金物や構造合板で補強されているので、被害も少ないと考えられる。

 当分の間、瓦の材料が入手困難な事も考えると、この際、より軽い仕上げの屋根に交換する事が建物の為にも良いことだと言える。この機会に自宅の屋根仕上げを検討する事で、地震に対して効果的な対策をとる事が出来るので一度考えて見る事をお勧めします。

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屋根工事中の写真
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足場も取れた工事完了の写真
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地震被害による瓦屋根の補修工事

2011年04月24日 18:07

 3月11日の東日本大震災の影響は、千葉県の各地でも見られる。この地震で多くの瓦屋根が被害を受けて、ブルーシートを掛けて手つかずのまま放置されている。震災の翌日、いつもお世話になっている剣道の先生から屋根が破損したとの連絡を受けて早速、現場調査に伺った。

 築30年の和瓦の屋根は、無残にも棟が破損し、落ちた瓦で下の屋根も破損していた。日頃付き合いのある屋根屋さんに、直ぐ連絡を取ったのだが、私の連絡で、今日は100件目くらいと言われ、補修工事に行けるのは、いつになるか分からないとの返事、他の2,3の業者にも当たって見たのだが、皆同様の返事だった。

 これでは、いつになっても工事が出来ないと思い。屋根瓦も不足、瓦職人も居ない状態なので、他の方法を考えなければならいと思い、2,3日色々と補修の方法を考えた。

 その結果、棟瓦をあきらめて、板金で棟型を造り納める事にした。この工法のメリットは、棟瓦を取り除く事で屋根荷重を減らし、建物への負担を軽減することで、地震に対して耐力が増す。地震が来ても屋根の棟が、ヅレないので瓦の破損を防ぐ事が出来る。

 欠点としては、瓦屋根の風格が無くなって軽い感じの外観になる。また、仕事が非常に複雑で手間がかかる、ひいては費用が高いものになる。瓦屋根で補修すると、2,3日で終わるのが、この工法だと2週間はかかる。この工法のメリット、デメリットを先生に説明した上で、この工法で工事する事の承諾を得た。

 工事は、まず破損した瓦屋根を下して、破損していない瓦屋根と交換する。しかし、瓦は入荷不可能なので、苦肉の策として、玄関上の瓦をはずして破損した瓦と交換し、その屋根は、金属屋根で葺き変える事にした。次に、大工さんが棟の形を造り、加工の必要な瓦は、タイル屋さんが取り付ける。そして、棟と瓦の隙間を左官屋さんが防水モルタルで埋める。次いで棟の形に合わせて、板金屋さんが板金で仕上げる。

 これで、実質15日を要した。それは、同時に工事が進められないので、順番にそれぞれの職人さんを入れて仕上げる必要があるのでこれだけの手間が掛かった。ようやく仕上がった屋根を見ると、瓦と金属の棟がシャープな印象で、新しい屋根に仕上がったようだ。

 この試みは、どの職人さんにとっても初めての経験で、私も毎日屋根に上がって納まりを職人さんと考えながら、何とか思ったような仕上げになった。どの職人さんも足場の不安定な屋根の上の作業で、改めて屋根屋さんの苦労が解ったと言っていた。私にとっても貴重な経験になった。
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玄関上の屋根瓦は、上から落ちてきた瓦で破損。
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下屋棟工事中の外観
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棟瓦を下して、大工工事で棟の型を造る。
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付近の屋根も軒並み地震の被害で屋根が破損。
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大工工事で造った棟の下地と瓦の隙間を防水モルタルで左官屋さんが補修。
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足場を組んで安全を確保して、板金やさんが棟の型を取る。
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板金の棟は、複雑な加工を要するので工場で加工して、棟に取り付ける。
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2階の棟の取り付け完了。

ふるさと再生計画その(2)

2011年04月14日 13:19

 東日本大震災が起きてから、一ヶ月が過ぎ、いまだ東北地方には被害の爪痕が深く、広く残っている。「ふるさと再生計画」と銘打って始めた小さなプロジェクトの現場が、原発問題がいまだ解決の糸口すら見えない福島の「いわき市」だった。昨年から計画を初めて、今年の2月現場が始まって、震災の起きた翌12日も現場に行く予定をしていた。

 3月11日、東京でもこの地震の影響受けて、全ての交通機関がマヒして、オーナーも徒歩で5時間かけて市川の子息の自宅にようやくたどり着いた。しかし、上には上がいたもので、我が家の息子は、池袋で地震に会って、帰って来ないものと思っていたら、翌日、気がつくと、自室で寝ていた。話を聞くと夜8時に池袋を出て、携帯のGPSを見ながら9時間かけて帰宅したそうだ。若さとは時に無謀だが、その行動力に羨望さえ覚える。

 そんな訳で、12日は、オーナーも同行する事になっていたのだが、高速道路も不通なので行くのをあきらめた。その日から現地の工務店とも連絡が取れず、建物の様子が気になっていたのだが、3日後に連絡が取れた。その時間は、ちょうど現場で工事をしていたのだが、立って居られないほど建物が揺れたそうだが、屋根瓦一枚落ちず無事だった事を知り、オーナー共々ホットした。

 しかし、それ以後、連日報道される被害の実態を知ると、被害を受けられた人たちに対して何と言って励ましてあげればよいか言葉が見つからない。幸い現地の部落は、高台に位置していて津波の被害も無く、地震による倒壊も無かったようで3日後から、工事も再開して順調に工事が進行したようだ。それと言うのも、その後、高速道路は閉鎖され、現地のライフラインが、大きな痛手を受けて水やガスが出ない状況が続いていたので、工事の進捗状況は、電話のやり取りだけで把握するしかなかった。

 そして、工事も完成に近づき、現地もだいぶ落ち着いて来たようなので、先週の土曜日に、オーナーと一緒に現場へ行って来た。現地へ行く途中の海岸線の部落は、高波の被害を受けて倒壊した建物が何棟も見かけられた。現場に着くと、連絡を受けていたように、被害も無く、もう少しで完成する所まで来ていた。当日は、左官屋さんが、和室の仕上げしているところだった。

 工事を始める前は、このような震災が来ることなど夢にも思っていなかったのだが、毎週土曜日に現場打ち合わせで現地に行く事にしていた。何せ、遠いところなので、2月に工事を開始した時から、設備機器、建物の仕上げについては、早めに決定していたのが幸いした。仕上げの色も、震災の前の週に塗装屋さんと実際に色見本を造って決めておいたので、思ったような色に仕上がっていてオーナーも満足してくれた。
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内部の仕上げ、リビングから和室の続き間を見る。
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囲炉裏の間から玄関を見る。
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玄関廻りも木の板を張って落ち着いた感じに仕上がった。
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庭のしだれ桜は、まだ花が一部咲いたところで、来週くらいが見ごろ。
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常磐高速いわき勿来のインターを出たところの桜は満開だった。現場は,車で10分程の里山に囲まれた所のせいか、里山の桜は、まだ3分咲きだった。

 話は変わるが、「いわき市」は、放射能の風評被害に苦しんでいて福島産の野菜や果物が売れないそうだ。その日は小雨も降っていたのだが、私は小雨に濡れる事もさして気にならなかった。オーナーは、故郷が被害を受け、原発の風評被害で苦しんでいる事にとても心を痛めて、「いわき市」に直接義捐金を送ったそうで、少しは故郷の役に立てたのではないかと少しホットしたと話していた。

 被災地の今後の事を考えると、自分に出来る事を継続することが大切だと痛感した。この2,3日福島、それも「いわき市」が震源地になった余震が続いている。建物は、今月末に完成予定だが、今週末も現場に行く予定だ。震源地に飛び込んで行くようだが、「いわき市」では、折角復旧した、水道も今回の地震でまた被害を受けたようだ。現地の人達は、これでもか、これでもかと、繰り返される試練に耐えていかなければならい。

 私もこれも何かの縁と思って、完成後も何か役に立てる事があれば、現地を訪れるつもりだ。まずは、ささやかなお手伝いとして、今回の土産は、福島産の野菜や、果物を沢山買ってこようと思う。