2012年01月04日 16:22
年の瀬から元旦へ
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
昨年の暮れ、大阪から義母と義弟の家族5人が我が家へ来て、正月は我が家の初孫と黒芝の小次郎を交えて12人と1匹で賑やかな正月を迎えた。
大晦日、義母と義弟夫妻と一緒に東京見物に出かけた。観光コースとしては定番の浅草の雷門から仲見世を見物しながら浅草寺にお参りした。お参りを済ませて、仲見世の空を見上げるとスカイツリーの雄姿が手の届きそうなところに見える。ついでに近くまで行ってみようと言う事で歩き始めたのだが、これが近いようで以外に遠い。なにせ相手は634mの高さ、自立式の電波塔としては、世界一を誇る建造物だ。
浅草の松屋デパートの前まで歩いてくると隅田川の向こう岸にスカイツリーが見える。結構時間が掛かりそうのなので、吾妻橋のたもとの交番で時間を聞くと徒歩で約20分と言う答え、一気に歩く気持ちが萎えてしまった。橋の向こうのアサヒビールの建物屋上に物議を起こした金色の巨大なオブジェが見える。こちらの橋のたもとには、水上バスの発着場がある。時計を見るとちょうど日の出桟橋行きの船があったので乗船する事にした。

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雷門入口、参拝者で混雑していた

吾妻橋から、隅田川を隔ててアサヒビール本社と建物の向こうにスカイツリーが見える。
当日は天気も良く風も無かったので船も快適に進んで行った。途中いくつもの橋を下から見上げ、川岸に並ぶビルをいつもの視線とは違った角度から眺めながら隅田川を下って行った。東京湾に近づくにつれて川幅がだんだんと広くなってゆく。両国橋に近づくと国技館の屋根も見える。

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水上バスから見上げた勝鬨橋
江戸時代には大川と言えば隅田川の事を指した。藤沢周平の時代小説に大川を渡る場面がよく出てくる。目を閉じると大川に掛かった木の橋の上を歩く江戸の人々の足音が聞こえてきそうだ。40分程の小さい船旅で日の出桟橋に着いた。そこから徒歩で20分程掛けて浜松町まで出る。
船着き場の表示では10分とあったが、高齢の義母の足に合わせると倍の時間はかかった。その上、道路を渡る歩道橋がいくつもあり、階段が多くて年寄りや足の不十な人には酷な通行だ。タクシーに乗れば良かったと思っても後の祭り、義母には悪いことした。JR浜松町駅から地下鉄大門駅は目の前で、駅の近くで遅い昼食を済ませタクシーで東京タワーに行く。
高校の修学旅行以来40数年ぶりで東京タワーに昇った。大晦日と言うのに沢山の人で、エレベーターに乗るのに2時間程待たされた。改めて展望台から見る東京の街は、あちこちに高層のビルが建ち並び、低いビルを含めて建物で隙間なく埋め尽くされ、地震の時はどうなるのだろうと恐怖さえ覚えた。駆け足で東京見物を終えたのだが、日頃見る事が出来ないところが見物出来たとまずまずの評判だった。
元旦は、家族全員で正月を祝った。こんな普通の幸せが、大切な幸せと昨年の災害が教えてくれた。午後から成田山へ初詣に出かける。お屠蘇が入っていたのと道路の混雑を避けるため、電車で出かけた。午後と言う事もあって電車は意外な程空いていて座って行く事が出来た。
成田山は、いつも正月を過ぎて車でお参りに来るので、駅から参道までの賑わいは知らなかったが、駅を降りると沢山の人出で混雑していた。お寺に近づくと、人の流れが止まってしまった。参道の両脇には、お土産物屋、漬物屋、これでもかとばかりに道路に向けて煙を出すウナギ屋が立ち並ぶ。

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成田山本堂前

本堂前の混雑、ここまで来るのに2時間掛かった
参道の両サイドは参拝を終えた帰りの人、中央は6列程のこれから参拝に向かう人と、警官の誘導で行列を造って、羊のようにおとなしく順番を待っている。義弟が大阪では考えらないと感心しきり。大阪では、数年前まで電車に乗り込むのも我先と先を争って乗り込む姿を思い出した。
ちなみに最近は、トイレやエスカレーターでも列を崩さず行儀が良い。ただし、不思議な事に、エスカレーターでは、東京では左に立って右を開けるのだが、大阪ではその反対だ。大阪に行くと何かにつけてこんな事が気にかかる。きっと、関西人と関東人では人種が違うのだろと思う。そんな事を考えているうちにようやく山門の石段まで辿りついた。
列の先頭にはロープを持った警官が階段の両サイドに立ってゆっくりと登って行き、全体の登る速度を調整している。階段の上や下から拡声器でしきりと足元に注意しろと呼び掛けている。警察官やガードマンの方のご苦労は解かるが、少しやりやりすぎじゃないの。人の群れを見ながらようやく本堂へ。ここまで約2時間、お参りは1分これでも空いているのだろうと思った。
成田山は山全体がお寺の敷地と公園になっていて、寺域内には、小中、高校まである。そのスケールの大きさに義母は感心しきりだった。帰りは、混雑を避けて遠回りして駅に着くと、電車は、地震があって遅れているとのアナウンスがあった。駅では何の情報も無く、正月から何もなければ良いのにと思って電車を待っていると、間もなく電車も来て、大したことはなかったようで安心した。
翌二日、義弟の長男がアルバイトの予定があると言うので、朝食を済ませると車に沢山の荷物を乗せて帰って行った。正月といえ、下りはそれ程混雑しなかったようで、ほぼ予定通り夕方自宅に着いたとの連絡をもらった。今年の正月は、大勢で楽しく過ごせて思い出に残る正月になった。今年もきっと良い年になるだろう。
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
昨年の暮れ、大阪から義母と義弟の家族5人が我が家へ来て、正月は我が家の初孫と黒芝の小次郎を交えて12人と1匹で賑やかな正月を迎えた。
大晦日、義母と義弟夫妻と一緒に東京見物に出かけた。観光コースとしては定番の浅草の雷門から仲見世を見物しながら浅草寺にお参りした。お参りを済ませて、仲見世の空を見上げるとスカイツリーの雄姿が手の届きそうなところに見える。ついでに近くまで行ってみようと言う事で歩き始めたのだが、これが近いようで以外に遠い。なにせ相手は634mの高さ、自立式の電波塔としては、世界一を誇る建造物だ。
浅草の松屋デパートの前まで歩いてくると隅田川の向こう岸にスカイツリーが見える。結構時間が掛かりそうのなので、吾妻橋のたもとの交番で時間を聞くと徒歩で約20分と言う答え、一気に歩く気持ちが萎えてしまった。橋の向こうのアサヒビールの建物屋上に物議を起こした金色の巨大なオブジェが見える。こちらの橋のたもとには、水上バスの発着場がある。時計を見るとちょうど日の出桟橋行きの船があったので乗船する事にした。

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雷門入口、参拝者で混雑していた

吾妻橋から、隅田川を隔ててアサヒビール本社と建物の向こうにスカイツリーが見える。
当日は天気も良く風も無かったので船も快適に進んで行った。途中いくつもの橋を下から見上げ、川岸に並ぶビルをいつもの視線とは違った角度から眺めながら隅田川を下って行った。東京湾に近づくにつれて川幅がだんだんと広くなってゆく。両国橋に近づくと国技館の屋根も見える。

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水上バスから見上げた勝鬨橋
江戸時代には大川と言えば隅田川の事を指した。藤沢周平の時代小説に大川を渡る場面がよく出てくる。目を閉じると大川に掛かった木の橋の上を歩く江戸の人々の足音が聞こえてきそうだ。40分程の小さい船旅で日の出桟橋に着いた。そこから徒歩で20分程掛けて浜松町まで出る。
船着き場の表示では10分とあったが、高齢の義母の足に合わせると倍の時間はかかった。その上、道路を渡る歩道橋がいくつもあり、階段が多くて年寄りや足の不十な人には酷な通行だ。タクシーに乗れば良かったと思っても後の祭り、義母には悪いことした。JR浜松町駅から地下鉄大門駅は目の前で、駅の近くで遅い昼食を済ませタクシーで東京タワーに行く。
高校の修学旅行以来40数年ぶりで東京タワーに昇った。大晦日と言うのに沢山の人で、エレベーターに乗るのに2時間程待たされた。改めて展望台から見る東京の街は、あちこちに高層のビルが建ち並び、低いビルを含めて建物で隙間なく埋め尽くされ、地震の時はどうなるのだろうと恐怖さえ覚えた。駆け足で東京見物を終えたのだが、日頃見る事が出来ないところが見物出来たとまずまずの評判だった。
元旦は、家族全員で正月を祝った。こんな普通の幸せが、大切な幸せと昨年の災害が教えてくれた。午後から成田山へ初詣に出かける。お屠蘇が入っていたのと道路の混雑を避けるため、電車で出かけた。午後と言う事もあって電車は意外な程空いていて座って行く事が出来た。
成田山は、いつも正月を過ぎて車でお参りに来るので、駅から参道までの賑わいは知らなかったが、駅を降りると沢山の人出で混雑していた。お寺に近づくと、人の流れが止まってしまった。参道の両脇には、お土産物屋、漬物屋、これでもかとばかりに道路に向けて煙を出すウナギ屋が立ち並ぶ。

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成田山本堂前

本堂前の混雑、ここまで来るのに2時間掛かった
参道の両サイドは参拝を終えた帰りの人、中央は6列程のこれから参拝に向かう人と、警官の誘導で行列を造って、羊のようにおとなしく順番を待っている。義弟が大阪では考えらないと感心しきり。大阪では、数年前まで電車に乗り込むのも我先と先を争って乗り込む姿を思い出した。
ちなみに最近は、トイレやエスカレーターでも列を崩さず行儀が良い。ただし、不思議な事に、エスカレーターでは、東京では左に立って右を開けるのだが、大阪ではその反対だ。大阪に行くと何かにつけてこんな事が気にかかる。きっと、関西人と関東人では人種が違うのだろと思う。そんな事を考えているうちにようやく山門の石段まで辿りついた。
列の先頭にはロープを持った警官が階段の両サイドに立ってゆっくりと登って行き、全体の登る速度を調整している。階段の上や下から拡声器でしきりと足元に注意しろと呼び掛けている。警察官やガードマンの方のご苦労は解かるが、少しやりやりすぎじゃないの。人の群れを見ながらようやく本堂へ。ここまで約2時間、お参りは1分これでも空いているのだろうと思った。
成田山は山全体がお寺の敷地と公園になっていて、寺域内には、小中、高校まである。そのスケールの大きさに義母は感心しきりだった。帰りは、混雑を避けて遠回りして駅に着くと、電車は、地震があって遅れているとのアナウンスがあった。駅では何の情報も無く、正月から何もなければ良いのにと思って電車を待っていると、間もなく電車も来て、大したことはなかったようで安心した。
翌二日、義弟の長男がアルバイトの予定があると言うので、朝食を済ませると車に沢山の荷物を乗せて帰って行った。正月といえ、下りはそれ程混雑しなかったようで、ほぼ予定通り夕方自宅に着いたとの連絡をもらった。今年の正月は、大勢で楽しく過ごせて思い出に残る正月になった。今年もきっと良い年になるだろう。
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