2011年04月14日 13:19
東日本大震災が起きてから、一ヶ月が過ぎ、いまだ東北地方には被害の爪痕が深く、広く残っている。「ふるさと再生計画」と銘打って始めた小さなプロジェクトの現場が、原発問題がいまだ解決の糸口すら見えない福島の「いわき市」だった。昨年から計画を初めて、今年の2月現場が始まって、震災の起きた翌12日も現場に行く予定をしていた。
3月11日、東京でもこの地震の影響受けて、全ての交通機関がマヒして、オーナーも徒歩で5時間かけて市川の子息の自宅にようやくたどり着いた。しかし、上には上がいたもので、我が家の息子は、池袋で地震に会って、帰って来ないものと思っていたら、翌日、気がつくと、自室で寝ていた。話を聞くと夜8時に池袋を出て、携帯のGPSを見ながら9時間かけて帰宅したそうだ。若さとは時に無謀だが、その行動力に羨望さえ覚える。
そんな訳で、12日は、オーナーも同行する事になっていたのだが、高速道路も不通なので行くのをあきらめた。その日から現地の工務店とも連絡が取れず、建物の様子が気になっていたのだが、3日後に連絡が取れた。その時間は、ちょうど現場で工事をしていたのだが、立って居られないほど建物が揺れたそうだが、屋根瓦一枚落ちず無事だった事を知り、オーナー共々ホットした。
しかし、それ以後、連日報道される被害の実態を知ると、被害を受けられた人たちに対して何と言って励ましてあげればよいか言葉が見つからない。幸い現地の部落は、高台に位置していて津波の被害も無く、地震による倒壊も無かったようで3日後から、工事も再開して順調に工事が進行したようだ。それと言うのも、その後、高速道路は閉鎖され、現地のライフラインが、大きな痛手を受けて水やガスが出ない状況が続いていたので、工事の進捗状況は、電話のやり取りだけで把握するしかなかった。
そして、工事も完成に近づき、現地もだいぶ落ち着いて来たようなので、先週の土曜日に、オーナーと一緒に現場へ行って来た。現地へ行く途中の海岸線の部落は、高波の被害を受けて倒壊した建物が何棟も見かけられた。現場に着くと、連絡を受けていたように、被害も無く、もう少しで完成する所まで来ていた。当日は、左官屋さんが、和室の仕上げしているところだった。
工事を始める前は、このような震災が来ることなど夢にも思っていなかったのだが、毎週土曜日に現場打ち合わせで現地に行く事にしていた。何せ、遠いところなので、2月に工事を開始した時から、設備機器、建物の仕上げについては、早めに決定していたのが幸いした。仕上げの色も、震災の前の週に塗装屋さんと実際に色見本を造って決めておいたので、思ったような色に仕上がっていてオーナーも満足してくれた。

↑
内部の仕上げ、リビングから和室の続き間を見る。

↑
囲炉裏の間から玄関を見る。

↑
玄関廻りも木の板を張って落ち着いた感じに仕上がった。

↑
庭のしだれ桜は、まだ花が一部咲いたところで、来週くらいが見ごろ。

↑
常磐高速いわき勿来のインターを出たところの桜は満開だった。現場は,車で10分程の里山に囲まれた所のせいか、里山の桜は、まだ3分咲きだった。
話は変わるが、「いわき市」は、放射能の風評被害に苦しんでいて福島産の野菜や果物が売れないそうだ。その日は小雨も降っていたのだが、私は小雨に濡れる事もさして気にならなかった。オーナーは、故郷が被害を受け、原発の風評被害で苦しんでいる事にとても心を痛めて、「いわき市」に直接義捐金を送ったそうで、少しは故郷の役に立てたのではないかと少しホットしたと話していた。
被災地の今後の事を考えると、自分に出来る事を継続することが大切だと痛感した。この2,3日福島、それも「いわき市」が震源地になった余震が続いている。建物は、今月末に完成予定だが、今週末も現場に行く予定だ。震源地に飛び込んで行くようだが、「いわき市」では、折角復旧した、水道も今回の地震でまた被害を受けたようだ。現地の人達は、これでもか、これでもかと、繰り返される試練に耐えていかなければならい。
私もこれも何かの縁と思って、完成後も何か役に立てる事があれば、現地を訪れるつもりだ。まずは、ささやかなお手伝いとして、今回の土産は、福島産の野菜や、果物を沢山買ってこようと思う。
3月11日、東京でもこの地震の影響受けて、全ての交通機関がマヒして、オーナーも徒歩で5時間かけて市川の子息の自宅にようやくたどり着いた。しかし、上には上がいたもので、我が家の息子は、池袋で地震に会って、帰って来ないものと思っていたら、翌日、気がつくと、自室で寝ていた。話を聞くと夜8時に池袋を出て、携帯のGPSを見ながら9時間かけて帰宅したそうだ。若さとは時に無謀だが、その行動力に羨望さえ覚える。
そんな訳で、12日は、オーナーも同行する事になっていたのだが、高速道路も不通なので行くのをあきらめた。その日から現地の工務店とも連絡が取れず、建物の様子が気になっていたのだが、3日後に連絡が取れた。その時間は、ちょうど現場で工事をしていたのだが、立って居られないほど建物が揺れたそうだが、屋根瓦一枚落ちず無事だった事を知り、オーナー共々ホットした。
しかし、それ以後、連日報道される被害の実態を知ると、被害を受けられた人たちに対して何と言って励ましてあげればよいか言葉が見つからない。幸い現地の部落は、高台に位置していて津波の被害も無く、地震による倒壊も無かったようで3日後から、工事も再開して順調に工事が進行したようだ。それと言うのも、その後、高速道路は閉鎖され、現地のライフラインが、大きな痛手を受けて水やガスが出ない状況が続いていたので、工事の進捗状況は、電話のやり取りだけで把握するしかなかった。
そして、工事も完成に近づき、現地もだいぶ落ち着いて来たようなので、先週の土曜日に、オーナーと一緒に現場へ行って来た。現地へ行く途中の海岸線の部落は、高波の被害を受けて倒壊した建物が何棟も見かけられた。現場に着くと、連絡を受けていたように、被害も無く、もう少しで完成する所まで来ていた。当日は、左官屋さんが、和室の仕上げしているところだった。
工事を始める前は、このような震災が来ることなど夢にも思っていなかったのだが、毎週土曜日に現場打ち合わせで現地に行く事にしていた。何せ、遠いところなので、2月に工事を開始した時から、設備機器、建物の仕上げについては、早めに決定していたのが幸いした。仕上げの色も、震災の前の週に塗装屋さんと実際に色見本を造って決めておいたので、思ったような色に仕上がっていてオーナーも満足してくれた。

↑
内部の仕上げ、リビングから和室の続き間を見る。

↑
囲炉裏の間から玄関を見る。

↑
玄関廻りも木の板を張って落ち着いた感じに仕上がった。

↑
庭のしだれ桜は、まだ花が一部咲いたところで、来週くらいが見ごろ。

↑
常磐高速いわき勿来のインターを出たところの桜は満開だった。現場は,車で10分程の里山に囲まれた所のせいか、里山の桜は、まだ3分咲きだった。
話は変わるが、「いわき市」は、放射能の風評被害に苦しんでいて福島産の野菜や果物が売れないそうだ。その日は小雨も降っていたのだが、私は小雨に濡れる事もさして気にならなかった。オーナーは、故郷が被害を受け、原発の風評被害で苦しんでいる事にとても心を痛めて、「いわき市」に直接義捐金を送ったそうで、少しは故郷の役に立てたのではないかと少しホットしたと話していた。
被災地の今後の事を考えると、自分に出来る事を継続することが大切だと痛感した。この2,3日福島、それも「いわき市」が震源地になった余震が続いている。建物は、今月末に完成予定だが、今週末も現場に行く予定だ。震源地に飛び込んで行くようだが、「いわき市」では、折角復旧した、水道も今回の地震でまた被害を受けたようだ。現地の人達は、これでもか、これでもかと、繰り返される試練に耐えていかなければならい。
私もこれも何かの縁と思って、完成後も何か役に立てる事があれば、現地を訪れるつもりだ。まずは、ささやかなお手伝いとして、今回の土産は、福島産の野菜や、果物を沢山買ってこようと思う。
コメント
コメントの投稿