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ファシリティマネジャーの試験に合格

2011年09月12日 18:07

以前、このブログ(2011年2月12日)でファシリティマネジャーについて説明したのだが、長いのでこれからは、略してFMと言いう事にします。2月にFMのフォーラムに参加して、この資格を知り受験しようと思って2月から勉強を始めた。Facilityの概念を一言で表す日本語が見当たらないのだが、施設、設備と訳され建物土地を含む資産と言う方が近いかもしれない。

7月10日、お茶の水の明治大学リバテイータワーで試験があった。9時40分から始まったのだが始まって直ぐに少し強い地震があってしばらく揺れが収まらなかった。少し教室もざわついていたのだが、暫くすると落ち着いて試験に集中する事が出来た。試験は午前中、概論90分、午後、実務Ⅰと実務Ⅱの各90分、最後に800字の論文100分で、試験が終了したのが夕方の5時、一日中試験に拘束された。

試験を終えてお茶の水の駅に向かって歩くと、日曜だと言うのに学生の街らしく、一目で学生とわかる若者とすれ違う。日曜の夕方、お茶の水の坂を上って駅に向かうオジサンが、何十年ぶりかで、試験の後の解放感を味わいながら歩いているとは、誰も思いもよらないだろう。今回の試験は、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡の5会場で試験が行われたのだが、東京会場は、1300名余りが受験したようだ。

発表は9月1日。2か月近く掛かったのだが、恐らく論文の審査が手間取るのだと思う。幸い合格したのだが、皮肉な事に、この資格を今まであった人で知る人はいなかった。ただし、この勉強をして良かった事は、アメリカから入って来た、建物、不動産の管理を経営の指針とする手法で、非常に理論的、かつ科学的で、日本にある外資系の会社や先進的な大手の企業は既に取り入れているのだが、一般に導入されるのは、10年先くらいだろうと思う。

 残念ながら私には時間が足りないようだが、これから、出来る範囲でこの資格を生かすように努力したいと思っている。早速10月3日には船堀タワーで、東日本大震災の反省を踏まえてBCP(事業継承計画)について各界の最先端の研究成果の発表と今後の対応についてフーラムがあるので参加する事にした。先日申し込んだところ先着750名のところが550名の応募があって各企業の関心の高さが伺える。これに参加して、何が得られるのかまだわからないが、資格を取って終わらせるのでなく、最新の情報を仕入れて身近なところの事例に生かそうと考えている。

夏の甲子園

2011年08月19日 17:51

 盆休み、家内の実家がある兵庫県に帰省した。13日、午前中は、まだ東名高速が渋滞しているとのニュースを見て、自宅を出る時間をずらして11時に出発した。首都高速も大した渋滞も無く都心を通りぬけた。家内と黒芝の小次郎、運転は私の二人と一匹の東海道を下るドライブとなった。江戸時代は、徒歩で旅をした事を思うと、自動車での渋滞などなんて事は無いのだが、便利さに慣れてしまった現代人は、数時間の渋滞も耐えられないほど、こらえ性が無くなっている。

 渋谷方面から東名高速に乗ったのだが、途中、2回ほど休憩をとって、それでも順調に走って浜名湖PAに17時頃に着いた。そこで休憩をとって、出ようとして渋滞情報を見ると、岡崎まで事故渋滞で2時間はかかるとの表示を見てふと魔が射した。どうせ渋滞するのなら、国道一号線、昔の東海道を下るのも悪くないと思って、三ケ日で降りて、豊橋から名古屋を目指した。これがとんでもない失敗で、国道が渋滞していて名古屋に着いたのが21時過ぎ、名古屋から名阪高速に乗って、やっとの思いで実家に着いたのが23時。

 3時間は余分に廻り道をしたが後の祭り。渋滞しても我慢して高速で行くべきだと思い知った一日だった。お盆休みの16日、地元習志野高校が甲子園で3回戦を戦う事になった。その日の第一試合、8時に開始するので朝6時半に実家を出た。阪急、阪神電車と乗り継いで8時前に甲子園に着いたのだが、もうすでに内野席は満席で、アルプス席を買ったのだが、観客席としては、見づらいので無料の外野席の左中間スタンドの中ごろにようやく空席をみつけて席を取った。

 夏の甲子園は快晴で日差しは強く、浜風は吹いているのだが、コンクリートの床の照り返しと満席の人の熱気で40度はあるのではないかと思うほどに暑い。外野席からホーム方向を見ると外野の緑の芝生と内野の黒い土のグラウンドにアイボリーと白のユニホームが躍動していた。試合は、緊迫の接戦で手に汗握る戦い。一球ごとに溜息と歓声が交互に上がり、目の前では野外の青春ドラマ、白球を追う高校生の姿に時間を忘れて声援を送った。

 幸い、習志野高が好投手を擁する金沢高校を2対1で下して接戦をものにしたのだが、試合終了後、両チームに満員の観客席から大きな拍手が送られた。私も、目一杯拍手をしながら目頭が熱くなってこみあげてくるものがあった。それは青春に対する感動か、それとも惜別か。外野席の周りは、両チームの好プレーに拍手を送る、高校野球を本当に愛し、楽しむ子供ずれの夫婦や若いカップルであふれていた。これはまさしく、長い歴史に育まれた関西の文化だと思った。

 余談だが、翌日千葉に帰ってくる途中、琵琶湖が見える大津PAで休憩をとっていると、昨日、習志野に敗れた金沢高校野球部のバスが学校に帰る途中、休憩をとるために停車していて、バスから野球部の部員が下りて来た。直近で見ると体は大きいが日焼けした顔にはまだ童顔が残っている。心の中で思わず「お疲れ様、来年も頑張って甲子園に帰っておいで」とつぶやいた。

 決勝戦まであと一試合、習志野を破った日大三校と光星学園、投打にバランスが取れた実力がある両チームだと思う。ここまで来たことが奇跡に近い、それぞれの持てる力を発揮して、悔いの残らない熱戦を期待している。高校野球が終わると夏の終わりも早い。
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夏の甲子園。緑の芝生と黒い土のグラウンドの対比が美しい
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3塁側アルプススタンド。自慢のブラスバンドの応援はド迫力。少し相手側の応援席がかわいそう
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震災後の補修工事

2011年07月28日 11:22

屋根の補修 

 3月11日に発生した震災の影響は、千葉県にもその爪痕を残し、4か月経ってもいまだ屋根にブルーシートの掛かったままの住宅をあちらこちらで見かける。瓦屋根は、殆どの場合、棟が壊れている事が多いのだが、まず棟の材料が無いことに加え瓦の下地になる粘土や、漆喰材が不足している。さらに、瓦を扱える職人さんが高齢化して人数も不足しているので、いつ補修が出来るのか見当がつかない状態だ。

 それでも、知人から紹介されると何とかしなければならない。棟の瓦があれば左官屋さん、大工さんで何とかなる。大工工事で棟型を造って板金工事で仕上げたり、漆喰の代わりに防水モルタルで仕上げたりいくつか工夫をして納めを考えて補修工事をして来た。屋根の補修工事に関連して、ついでと言っては語弊があるが、基礎が壊れたり、床が下がったり、雨漏りが発生したり、今まで誰に相談して良いか困っていてこの際に一緒に補修をしたいとの希望があり、一緒に工事することが多い。

 そんな訳で、このところ補修工事に追われ、すっかり工務店の仕事が多くなって来た。しかし、補修工事をして感じた事だが、長年治らなくて半ば諦めていた雨漏りなどを治すと本当に喜んでくれる。全ての結果には原因がある。謙虚に実際の現象と正面から取り組むとそれなりの原因が見えてくる。建築のトラブルについて、人はあれこれと言い訳するが、建物はうそをつかない。建物の悲鳴に耳を傾けると、原因が見えてくる。

 建築のトラブルの大半は、小学生の時に理科の時間に習った事で大抵説明がつく。たとえば、雨漏りの原因は、毛細管現象に起因する事が多い。また結露は、飽和水蒸気の露天温度に注意をすると原因が推察出来る。最近では字のごとく「ホームドクター」になった気分で、今までの経験を生かして人の役に立てると言う実感は、悪くないなと思う。そこで、最近の補修工事と現在進行中の工事を写真で紹介したい。百の言葉より一枚の写真の方が解り易いと思うので、参考にして下さい。

例その1
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全体の工事風景
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棟瓦を降ろして大工工事で棟の下地を造る
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棟の下地の下に防水モルタルで雨水が入らない様に処理をする
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板金で棟の形を造って棟にかぶせる
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竣工写真。破損した棟瓦を金属の棟に交換したが、違和感は無く、むしろシャープな棟の線が出てすっきり見える。屋根荷重も軽くなり、棟を木の下地でしっかり押えたので、地震で瓦がずれる心配が無くなった。

例その2
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破損した棟瓦を降ろした状態
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漆喰の代わりに防水モルタルで棟瓦の下地を造る。このほうが、漆喰より耐久性があり、地震に対しても強い
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防水モルタルで下地を整える
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棟瓦を載せて完成した状態

例その3
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洋風瓦の棟が破損したので棟瓦を降ろす。雨が降ると雨漏りの心配があるので多人数で一気に工事を進める
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棟付近の瓦を降ろした様子
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和瓦の棟と同様に防水モルタルで棟の下地を造る。和瓦と比較して下地のモルタルの量が少ない
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棟の補修完成の状態
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屋根工事の為、足場を掛けたので、この機会に外装の塗装も新しくした。補修した屋根の棟は、残念ながら道路からは見えない

例その4

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長年、屋根の雨漏りが止まらないとの相談を受け、雨漏りがしている屋根の部分を壊して見ると、明らかに壁に雨漏りの跡が見える。これは屋根と外壁のぶつかる部分の水切りの不足に起因している事が解る
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問題と思われる板金部分を撤去する
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古い防水紙を取り除いて、下地をFRP防水処理をする
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防水処理をした上に、大きめの板金で屋根からの雨水を受けるようにする。これまでは板金が小さかったので雨の量が多い時に板金からあふれた水が壁を伝って下の廊下に漏っていた。この処理を終えて10何年雨漏りに悩まされていたのが、止まってとても感謝された。

サッカーの神様はいた!

2011年07月19日 18:03

 3月の震災以後、屋根の補修工事や、耐震補強工事に追われる日々でブログを書く時間が無くてしばらくブログを更新しなかったのだが、17日の女子ワールドカップ「なでしこジャパン」の試合を見て感動したのでこの試合を見て感じた事を書いてみたいと思った。

 今回のMVPに輝いた澤キャップテンが試合の前にたびたび「サッカーの神様」がいるならと口にしていたのだが、決勝のアメリカ戦に神様を見た。アメリカの再三の猛攻で、入ったと思ったボールが何度もゴールバーに当たって跳ね返された。まさにそこに神を見た。神様は、頑張る人に微笑むなどと言う乙女チックな感傷を超えた何かがあった。

 リードされた後に追いつき、同点としたゴールも神がかっていたし、PK戦で見せたプレーもまさにそうだ。ただ勝ちたいとの思い以上の何かがあったと思う。今回の女子のサッカーを見ていると、男子チームの事を考えさせられた。イタリア人のザッケローニ監督の日本人を理解しようと努力している姿は、今までの外国人のどの監督より好感が持てる。
 
 しかし、今回の「なでしこの」試合は、サッカーでの日本人の戦い方の見本を見せてれた。男子のチームは体力に劣ると言う事でチームワークで勝つための4-4-2とか3-5-2とかフォーメーションの話ばかりが優先して、もっとも大切な点を取ると言う戦う姿勢や、精神が欠けている事を教えてくれた。

 今回の女子のワールドカップの試合で、TVの解説を聞いていても、誰もフォーメーションの話をしないで、彼女達の戦う姿勢を称賛していた。まさにこの姿勢こそ男子チームに欠けているものだと思った。ただし、女子チームの戦い方の陰には、佐々木監督が日本女性の体力に合った戦い方を見出して日々努力してきた結果だと思う。

 早いパス回しは、体力の差があっても相手と接触する前にボールを離していればボールを奪われる事はない。プロサッカーチームで今一番美しい試合をすると言われているFCバルセロナは、世界中のファンの心をつかみ、他のチームからは、あこがれの存在として尊敬を集めている。この大会中、海外のメデイアは、「なでしこジャパン」は女子のバルセロナだと讃えていた。

 そして、佐々木監督は、決勝戦の前にTVのインタビューに答えて、澤キャップテンと同じ様に「サッカーの神様がいればそろそろアメリカに勝たしてくれるのでは」と話していた。そこには最善を尽くしたものだけが言える自信さえ窺えた。(これは結果が伴ったから言えるのだが)

 仮に決勝戦で負けていても今回の結果は、彼女達の評価を下げるものでない。誰もが今回の戦いぶりを見て勇気をもらったと口をそろえて言うが、私も同感だ。これからは、自分も自分に限界を造らないで色んな事に挑戦しようと思う。そして、彼女たちの快挙に感謝をこめて心からの喝采を送りたい。

ふるさと再生計画その(3)

2011年05月09日 14:53

 「ふるさと再生計画」と銘打った小さなプロジェクトも、東日本大震災と言う、未曾有の災害が起きて、一時はどうなる事かと気を揉んでいたのだが、幸いなことに当初の、予定より2週間遅れでこの連休に完成した。
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玄関脇の廊下から玄関を見たところ
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上がり框と式台はヒノキの無垢材に交換、囲炉裏の間は、畳の部屋をヒノキの床に交換してリビングとの段差を無くし使い勝手を良くした。
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玄関上がり框から、囲炉裏の間を見る

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囲炉裏の間の天井。昔の煤で黒くなった梁を天井をはがして、今回の改装で見せるようにした。

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同じく囲炉裏の間の天井。照明器具は、黒い梁とマッチするように提灯の灯りにした。
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囲炉裏の間から二間続きの和室とその前の広縁を見る。今回の改装で畳の交換、建具の張替、広縁の床をヒノキの床に張り替えて、その他壁天井は水洗いした。
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広縁の付き当たりの壁は、今回、耐震性を考慮して、既存では柱だけだったのを、コーナー両サイドに1,8mの壁を新しく設けた。これが今回の地震に効果を発揮した。

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今回の改装でキッチンは対面カウンターに交換。風呂は1坪のユニットバスに、トイレの便器もウォシュレットに交換した。

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リビングから囲炉裏の間を通して和室の続き間を見る。囲炉裏の間は、昔、ここに囲炉裏があったのだが、床の傷みが激しいので撤去した。使い勝手を考えると座卓式の囲炉裏が良いだろうと思い、冬までに囲炉裏を手配する事にしている。

 現地「いわき市」は、放射能汚染と風評被害と、連日続く余震に怯える毎日で、気の休まる時が無いようだ。4月16日現地を訪れた時は、市内のサクラが満開だった。現地の庭に咲く枝垂れ桜は、まだつぼみを残して一分咲きだった。しかし、今回訪れたときには、花も散って新緑の葉サクラになっていた。周囲の里山も新緑に包まれてさわやかな五月の風が吹いていた。

 この地を初めて訪れたのは昨年の12月、周囲の里山は冬枯れの立木で一色だった。しかし、師走の福島は、雪の積もった冬景色を想像していたのだが、雪も無く思ったほど寒くなかった。それは「いわきの沖」に暖流が流れ、北から下ってくる親潮がこの沖でぶつかって大変良い漁場をつくっている事を後で知った。その日は、近くの観光センターの魚市場で魚を買って帰った。その時あの大震災が来ることを誰が予想しただろうか。

 地震後、TVのニュースでその魚市場が建物だけを残して全て津波にさらわれた様子を見ても実感がわかなかった。その後起きた原発の事故は、目に見えない恐怖が住民の生活を脅かしている。この状態がどこまで続くのか、被害の拡大は無いのか、もし巨大な余震が襲って来たらどうなるのか、色々と想像するとやりきれない思いがする。この地震は、これからのエネルギー政策に根本的な政策の転換を迫る契機となるのではないか、また、なって欲しいと願う。

 福島原発の事故以降、世界の反応をTVニュースや新聞などで見ると、これからの世界中のエネルギー政策にも一石を投じる事になったようだ。この機会に、私達の世代は、世界のエネルギー政策の動向を注視し、次の世代にもっとも良い方法を残す責任があると思う。

 イギリスでは、原子力に代わるエネルギーとして今後20年で風力発電に変えて行く方針だそうで、これは、福島原発事故以前に国の方針として決めていたようだ。また、火山国のイタリアでは、1913年に世界で初めて地熱発電が開始され現在世界20カ国で約800万kwが発電されている。今後も地熱発電が積極的に進められそうだ。日本でも東北、九州やその他の18か所で地熱発電が行われ合計で約53万kw、福島原発一基分に相当する。

 初期コストとランニングコスト(運転、維持する為のコスト)の面で原発が経済的との理由で採用されて来たのだが、これは、安全であることを大前提としている。今回の事故以降、当事者の東電や、その廻りのお抱え学者は、想定外と言う言葉を多用して責任逃れをしているようだが、これまでの政府と現在の政府を含め、関係者全ての対応を見ていると無為、無策、無能であることが証明された。

 これほどの危機は、戦争にも匹敵するが、これまでなんら危機管理がなされていなかった事に、この国の姿が浮き彫りになって空恐ろしい気がする。これを機会に今から直ぐに、本当の危機に対して準備するべきだと思う。そして、原発事故が起きた最初からの対応を見ていると、全て対策が後手に回り、行き当たりバッタリの対応で、造られた安全神話を基に、本当の危機管理がなされて居なかった事が露呈された。また、放射能への対策が自衛隊を含めてなされていないことがより深刻な問題である。

 第二次大戦後、非核三原則を始め、核に対してはタブーとして、国民も議論してこなかったツケが今出て来たと思う。これからでも遅くない科学者も核をタブーとせず真剣に取り組んでもらいたい。核問題イコール戦争などと言わず、また、今すぐ原発を無くす事は現実的ではないのだから、想定外の事態に備えて今こそ科学大国と言う「張り子のトラ」から、実態のある科学大国へと変身して欲しい。

 このまま何もしないで、第二次大戦中と同じ「神国と神風」と言う非科学的な妄想に頼る愚は二度と犯して欲しくない。科学者に勇気とプライドがあるならば、今こそ真の科学の底力を見せて欲しい。それにしても、この困難な時に政治家の姿が見えてこない。この期に及んで権力争いの方が全てに優先するようだ。

 政治家のレベルはその国民のレベルだそうだが、そう言われない様にするためにも、一人ひとりがこの国の政治に対して関心を持って、問題提起すべきだろうと思う。一方では、被災地の人たちの事を思うと直接力になれないかもしれないが、日々の生活の中で被災地の人達に思いを寄せて、何か出来る事はないか考える事、そして、出来る事は直ぐ実行するよう心がけたいと思う。